2月3日は節分。鰯(いわし)を食べて豆まきをします。節分は立春の前日です。
鰯を食べるといえば年越し鰯。大晦日の夕食に鰯を食べる習慣は日本各地にあります。節分と大晦日、実は何れも新年の前日という共通点があります。一年は春夏秋冬、春から始まります。
即ち立春は一年の始まりで、その前日の節分は一年の終わりを意味するからです。二度鰯を食べる習慣は明治維新後の太陽歴導入がきっかけです。
1.旧暦
江戸時代まで日本で使っていた暦(こよみ)は太陰太陽暦。通称旧暦です。太陽暦では月の満ち欠けに関係なく「月」を決めますが、旧暦では新月から満月を経て次の新月の前日までが「月」です。毎月15日は十五夜の月、満月と決まっています。
旧暦の「月」は平均29.3日ですから、29.3掛ける12ヶ月で351.6日。地球が太陽を一周する周期は365日ですから13.4日不足します。そこで旧暦では約三年に一度閏月(うるうづき)を入れて13ヶ月にします。
そうしますと太陽歴と旧暦の「月」は当然のことながら一致しません。農業を行う場合、太陽の動きに従って季節が変わりますので旧暦の「月」で種まきや収穫時期を決める訳には行きません。そこで太陽の動きに合わせたもう一つの指標として二十四節気(にじゅうしせっき)が考えられました。
2.立春
立春は二十四節気の一つ。立春は我々が今日使う太陽歴では毎年2月4日頃と決まっています。旧暦の1月は二十四節気の雨水(うすい。太陽歴2月19日頃)が含まれる「月」と決められています。
旧暦の元日は太陽歴の1月22日から2月19日の間になり、立春はその中間に位置する日でした。
農民の感覚としては、太陽の運航で決まる春の始まり・立春が一年の始まりであり、その前日である節分を一年の終わりの節目と感じていたのです。
中国では旧暦正月に新年を祝いますが、日本の農民、それは人口の大多数を占める庶民でもありますが、立春を新年の始まりとして祝っていたのです。そして節分に食べる鰯を「年越し鰯」と呼んでいました。
明治時代になって太陽暦に移行した時、12月31日の暦上の年越しと、2月3日の節分の年越しは一ヶ月以上離れました。そこで本来一回の年越しが分割される形で二回行われることになり、その二度とも鰯を食べる習慣が残りました。
3.鰯
「尾頭付き」(おかしらつき)という言葉があります。頭と尾がついた一匹の魚のことです。「完全な形」から慶事の料理には欠かせません。年越し鰯は、尾頭付きです。
奈良で流通しているものは20センチくらいの立派な塩蔵鰯です。「年越し」になぜ鰯かという疑問に確かな答えはないようですが、塩蔵品で内陸まで流通可能な、尾頭付きの、庶民に手が出せる経済魚として定番化したのではないかと私は考えています。
江戸時代、肉食は基本的に行っていません。たまのごちそうは魚。節分、即ち新年を迎える前日に食べる尾頭付きの大ぶりな鰯は、特別なごちそうの意味があったに違いありません。酒を酌み交わして新年を迎える祝いをしたことでしょう。
明治時代になって太陽歴が導入され、正月三が日に重箱に詰めたお節料理を食べるようになります。
お節料理には塩蔵の寒鰤(かんぶり)や棒鱈(ぼうだら)といった取って置きのごちそうがありますので鰯の価値は相対的に下がり、12月31日の年越しに鰯を食べる地域は必ずしも多くないものと推測できます。
4.我が家の例
40年も前のことですが筆者の母は松坂屋大阪店友の会から伝統的な家庭行事を書くよう依頼を受けました。その文章は会誌「かとれや」に「我が家の年中行事とその食べ物」という題で1976年(昭和51年)1月から10月まで連載されました。
その節分の箇所を次ぎに引用します。鰯と野菜の煮物に神社参りと、12月31日の大晦日が繰り返されていることが解ります。
「大豆約五合に、緑の豆と黒豆一つかみずつを混ぜて焙じ、一升枡に入れて神棚に供え、ひいらぎの小枝を家の出入口にさしてまわります。夜は年越し鰯(塩のきついもの)を焼き、大晦日と同じ、大根、いも、ごぼう、人参の煮物でいただきます。
夕食後、神棚に供えてあった豆をおろし、家族一人ずつ半紙に豆を包み、それを持って氏神様にお参りに行きます。石段のところやあらかじめ紙を敷いたところに、『鬼は外』といって包みから豆を出して置き、『福は内』といって先に参られた人の豆を懐に入れて持って帰ります。家に帰ると、自分の年より一つ多い豆を食べます。(以下略)」
鰯は食べた後、その頭を家の出入り口に挿した柊(ひいらぎ)の小枝に付けます。魚臭さと柊のトゲを嫌う邪気(鬼)が家内に入らないようにする魔除けです。この魔除けは節分だけのもので、大晦日には行いません。
自分の年より一つ多い豆を食べるのは、旧暦時代の年齢は数え年で、新年を迎えると一つ年を取ることから来ています。
第54話終わり
写真1:正月飾り(天津市東麗区新業広場)
写真2:正月飾り(上海市南京西路818広場)