第51話 「わかりやすさが面白い」黒部市

投稿日:2014年9月05日

 盆休みに黒部市を訪れました。黒部市は2006年(平成18年)に隣の宇奈月町と合併しています。

 黒部市は黒部川の扇状地の上にあります。大正以降、電源開発の拠点となり、電力を利用したアルミ産業が生まれ、今日も市の経済を支えています。

 権利の乱用を裁いた「宇奈月温泉事件」は法律を学ぶ者の基本ですが、宇奈月温泉は扇状地の扇の要の位置にある愛本橋(あいもとばし)から6キロほど川を遡ったところです。この温泉地も電源開発の過程で始まりました。

 来年3月には北陸新幹線が開通します。その黒部宇奈月温泉駅で電車に乗り換え、黒部市街まで5分、宇奈月温泉まで30分です。この電車も電源開発の資材運搬が起源。観光客に人気のあるトロッコ電車も資材運搬の為に引かれたものです。

 黒部市の歴史は、黒部川の電源開発と共にあります。この「わかりやすさが面白い」。私が考えた観光客誘致のキャッチコピーです。新幹線が通れば東京から2時間。京都からは従来と変わらぬ3時間半。皆さんも黒部に「こられ」(いらっしゃい)。

1.黒部川扇状地

宇奈月温泉駅

 黒部川扇状地は北アルプスに発し日本海に注ぐ黒部川によって形成されました。豊富な雪解け水のおかげで夏でも水量が豊富で、扇状地は水田に覆われています。扇状地末端部には湧水群が広がり、各家庭に自噴井戸があるほどです。

 黒部市歴史民俗資料館ではちょうど堀切(ほりきり)遺跡から出土した「こけら経」の特別展が開かれていました。こけら経は長さ30センチ、幅1センチほどの薄板に写経したもので、写経会の法要が終わったあと、川に流されたそうです。

 この遺跡からは2万点を超える中世のこけら経が発掘されました。堀切遺跡周辺は縄文時代から近世に至る遺跡が多数あり、黒部川扇状地は住みやすい場所であったことがわかります。

2.電車

おもろい看板

 富山地方鉄道の内、黒部駅・宇奈月温泉駅間は大正12年(1923)に東洋アルミナムの子会社・黒部鉄道が引いたものです。建設資材運搬と湯治客輸送を兼ねていました。

 更に宇奈月温泉から上流に向かって資材運搬の為のトロッコ電車が引かれましたが、昭和28年(1953)、宇奈月・欅平間が一般観光客を乗せて走るようになりました。これが人気を呼び、宇奈月温泉の宿泊者も増えました。トロッコ電車は関西電力の子会社が運行しています。

 黒部川を見下ろす絶壁をトロッコ電車は走ります。崖をコの字型にくりぬいたところあり、トンネルあり、橋あり、カーブの連続もありで、飽きません。鐘釣(かねつり)で下車すれば河原に泉源があり足湯が楽しめます。

 帰りは慣れから緊張感が失せ、疲れて居眠りする人も多くなります。

3.宇奈月温泉

宇奈月ダム湖

 大正11年(1922)年、東洋アルミナムは子会社・黒部温泉会社を設立。翌年、7キロ上流の黒薙(くろなぎ)温泉から湯を引きます。これが宇奈月温泉の始まりです。

 宇奈月温泉に入りました。透明感のある掛け流しの湯。すぐそばに迫る山の緑。「温泉はなんでこんなに寛げるんやろう!」などと、今更ながら口をついて出ます。

 川沿いの急峻な山に挟まれた、谷底のような空間に居ると、日常の生活域から完全に切り離された実感があります。ここまで来ると時間を気にするのは野暮というものです。

4.電源開発

トロッコ電車

 アルミ精錬には大量の電力が必要です。黒部川は、水量が多い上に高低差が大きいので水力発電に適しています。日本最初のアルミ精錬工場建設を目指して設立された東洋アルミナムは大正6年(1917)年に黒部峡谷の調査を開始します。

 同社はアルミ精錬事業をあきらめますが、電源開発は日本電力に引き継がれ昭和3年(1928)、当時日本最大の発電出力の柳川原発電所が完成します。

新黒部川第三発電所

 昭和15年(1940)、仙人谷ダムが完成し、下流の欅平(けやきだいら)に建設された黒部川第三発電所で発電が始まります。ダム建設にあたって資材運搬用のトンネルを掘る必要があり、工事途中に166℃の熱水が噴き出すなど難工事でした。

 昭和38年(1963)には更に上流に黒部第四ダムと黒部川第四発電所が完成します。これも大変な難工事でした。昭和43年、この建設に挑む人々の姿を描いた映画「黒部の太陽」(三船敏郎、石原裕次郎主演)が大ヒットしました。平成13年(2001)にはNHKの「プロジェクトX」が取り上げましたので、たくさんの方がご覧になったと思います。

5.アルミ産業

YKK黒部事業所

 今日、黒部市はアルミ建材とファスナーで有名なYKKの企業城下町です。

 富山県高岡市は江戸時代から鉄と銅の鋳物造りが盛んでした。昭和5年(1930)、荒井三郎がアルミ鋳造品の製造を始めました。電力供給量が増えると富山県ではアルミ精錬と加工が盛んになります。

 戦時の中断を経て、戦後は豊富な電力を生かしてアルミ精錬、アルミ加工が一層盛んになりました。YKKは、元はファスナーメーカーですが、アルミ製ファスナーを手がけ、昭和37年(1962)にアルミ建材に参入します。

6.昆布

 最後に食べ物の話題。

 富山県は昆布の消費が多いことで有名です。我々関西人も昆布をよく食べますが、料理だけでなくおやつとして昆布をつまむ富山の皆さんには脱帽です。魚の昆布締めを食べる頻度も桁違い。食品スーパーでもたくさん売られています。

 黒部市生地(いくじ)漁港のそばに加工も手がける有名な昆布店があります。

 江戸時代、富山は北前船の中継点でした。富山藩は昆布を薩摩経由で琉球や中国に輸出していました。沖縄の昆布消費量が多いのはこの名残です。

 富山の人々は昆布に馴染みがありましたので明治になって黒部では樺太、知床、根室、北方領土の昆布漁に出稼ぎに行き、やがて移住する人も増えました。戦後、樺太や北方領土から引き揚げて来られた縁があるのでしょう、それらの産地の昆布も入ってきています。

 私は土産に昆布をたくさん買って帰りました。短く切って毎日つまんでいます。疲労への抵抗力が強まった気がします。

第51話終わり

写真1:宇奈月温泉駅
写真2:おもろい看板
写真3:宇奈月ダム湖
写真4:トロッコ電車
写真5:新黒部川第三発電所
写真6:YKK黒部事業所