寒くなるとおでんが恋しくなります。醤油味と燗酒の相性は良く、寒い季節にはぴったりのアテです。美味しい上に体が温まります。
おでんは地域によって多様性がありますが、同じ地域でも店によって、家庭によって流儀が異なります。つゆの色目ひとつとっても醤油の色が勝った伝統のものから、薄口醤油の淡い色まで多様です。
最近は更に色の薄いコンビニおでんが一つの基準になりつつあります。濃口醤油の普及と共に生まれ育ったおでんですが、進化を続けています。
1.おでんの語源
「おでん」は、室町時代に生まれた田楽(でんがく)という料理から来ています。田楽とは一口大に切った豆腐を平たい竹串に刺し、味噌を塗って焼いた料理です。田楽に御(お)を付けて御田楽(おでんがく)。それを縮めて御田(おでん)です。
室町から江戸時代にかけて田楽は盛んに食べられるようになり、豆腐以外にも芋田楽、茄子田楽などが生まれます。
芋田楽の里芋は串を刺す前に下ゆでをしなければなりません。串に刺した後、食べる時に再度ゆでて味噌を塗り、焼かずにそのまま食べるといったことも始まります。
同様に豆腐も焼かずにゆでて、味噌を塗って食べたりもします。この焼く手間を省いた田楽が今日のおでんを生むことになります。
2.おでんの誕生
田楽は広まるにつれ、串を手で持って簡単に食べられることからファストフードになります。そこに醤油の大衆化という条件が加わりおでんが誕生します。
醤油の大衆化は江戸で始まります。江戸時代の半ば頃から下総(千葉県北部)の野田や銚子で醤油作りが盛んになり、19世紀には今で言う濃口醤油が完成します。江戸では一早く醤油が調味料の主役に躍り出ます。
そして醤油と鰹節の出しで煮て味を付けた、味噌を塗らない田楽が始まりました。
やがて味噌を塗る手間を省いた田楽を「おでん」、従来のものを「味噌田楽」と呼び分けるようになるのです。
3.発展と多様化
おでんの具材を種(たね)と呼びます。初期のおでん種は串に刺した豆腐や里芋だったのですが、魚すり身の練り物、こんにゃく、厚揚げ、大根などが加わります。
おでんは、明治、大正時代には東京のみならず日本各地に広まります。おでん種は、明治、大正、昭和と増えて行きます。
おでんの多様化の中で、串を使わず各種具材を混合して煮る店も出てきます。そういった串を使わないおでんを通常の「おでん」と区別するために関東煮(かんとだき)という名称が使われるようになりました。
関東煮は陸軍の献立にも取り入れられ、全国の家庭料理としても広まりました。私も小学校の給食で食べました。じゃがいもが煮崩れ、つゆがほとんどなかったのが印象に残っています。
4.串の消滅
赤塚藤雄のギャグマンガ「おそ松くん」でチビ太が持つおでんは一つの串に三角に切ったこんにゃく、それにがんもどき、鳴門巻を刺したものです。「ちびまる子ちゃん」に出てくるおでんも似た形です。こういった1本の串に複数の種を刺すのも多様化の一つの形態でした。
筆者の母は北河内の出です。作ってくれたおでんも1本の串に複数種でした。先端は三角のこんにゃく。それに鯨のころ(皮に近い白い部分)、竹輪、ウインナー、じゃがいもなど。ただ今日の我が家では串に刺す手間を省き、関東煮になっています。
おでん種によっては串に刺したものもありますが、近年串を使わないのが主流になりましたので、昭和の終わり頃から関東煮という言葉は使われなくなり、串を使おうが使うまいが区別無く、おでんと呼ぶようになっています。
5.つゆ
つゆは、一般的に濃口醤油で煮ていましたので比較的濃い色だったのですが、近年「京風」という色の薄いものが流行し、現在は薄い色が好まれる傾向にあります。
本来「京風」とは古都・京都で発達した日本料理の流儀を指し、素材の味と色を生かしたあっさりとした味付けという意味で使うのですが、おでんの場合は単純に「色が薄い」という意味で使います。出しも京都なら昆布を主役とするところですが、鰹(かつお)が多用されます。
6.中国でも
おでんは中国人にとっても馴染みある食べ物になってきました。日系コンビニのおかげです。コンビニのおでんはいわゆる「京風」で、つゆの色が大変薄いものです。中国人にとって、コンビニおでんが標準となりつつあります。
日本料理店の普通のおでんを初めて食べた中国人がつゆの色を見て、「偽物のおでん」と思うこともあるとか。因みに中国語ではおでんを「関東煮」と訳すのが一般的です。
第42話終わり
写真1:コンビニ店頭
写真2:味噌田楽
写真3:中谷家の昭和のおでん
写真4:現代のおでん
写真5:コンビニのおでん旗