「世界最大手の独ミュンヘン再保険が作った世界50都市の災害リスク指数。指数が高いほど災害が起こりやすく、もろく、被害が大きい。首位は「東京・横浜」(指数710)。2位の「サンフランシスコ」(167)を引き離す。
政府は今後30年以内に70%の確率で起きるとみる首都直下型地震(マグニチュード7.3)の被害想定を112兆円とはじく。会社や住宅が密集する東京は災害のダメージもより深刻だ。」(2011年6月16日 日本経済新聞朝刊 「新しい日本へ 第4部5」より)
1.一極集中
東日本大震災は、第二次世界大戦終結から65年目に起きた戦後最大の災害です。ところが戦前にはもっと大きな災害が日本を襲いました。1923(大正12)年に発生した関東大震災です。東京を中心に死者、不明者併せて10万人。
日本の産業界にも深刻な打撃を与えました。それが遠因となって4年後、日本は金融恐慌に突入します。
その当時の東京、神奈川、埼玉、千葉、4府県の人口を併せると760万人。日本の総人口が5,600万人の時代ですから、人口比率は13.6%です。現在の四都県は3,560万人と約5倍。総人口が12,800万人ですから比率は二倍の27.8%に高まっています。
大ざっぱに言って、日本国人口の3割が東京の通勤圏に居住しているのです。首都直下型大地震が起きれば、首都圏のみならず日本国そのものが機能不全に陥ります。
2.大地震多発地
日本列島は地震の巣の上にあります。東京周辺も例外ではありません。というよりも、数十年或いは百年といった間隔で大地震が起きる場所の上にあります。
1855(安政2)年の地震では江戸の死者数千人、地震後発生した火災で広い市街地を焼きました。
1703(元禄16)年は房総半島を震源地とする大地震。江戸は建物の倒壊こそ少なかったものの、江戸湾に津波が押し寄せました。下町に1.5メートル、横浜は3メートルとされています。相模灘や房総では5メートルを超える大津波でした。
3.分散によるリスク管理
天災の被害を人為的に減らせるにもかかわらず十分な対策を取らない場合、人災の色合いが強まります。首都直下型大地震の被害を抑える一番の方策は分散です。
戦前、日本一の大都市は東京ですが、二位は大阪、三位は神戸、四位は京都、五位は名古屋。首都圏への集中は限定的でした。大都市が集中する関西は三都市に分散しています。しかも京都盆地は奈良盆地と並んで天変地異とは縁遠いところです。
かつて平安京と平城京が置かれたこれらの場所は、当時の中国・唐の地脈を見る技術によって安全な場所が選ばれたからに違いありません。
京都は応仁の乱(1467-1477年)で焼け、それ以前の建物はわずかしか残っていませんが、奈良盆地には7世紀に建てられた法隆寺を筆頭に、都があった8世紀の木造建築があちこちに残ります。
東京一極集中は、国策で進めてきた側面が濃厚です。文化面で言えば、テレビキー局は全て東京。週刊紙は取次制度に縛られ、事実上東京でしか発行できません。経済で言えば、業界団体は業種にかかわらず監督官庁のある東京に置かれています。
今度は逆の政策で積極的に分散を促さなければなりません。政治・行政の中心と経済の中心が同じであるところに一番の問題があります。国政の中心を東京から移動させれば、経済の中心は業界ごとに決めることができます。日本国の面積は38万平方キロもあり、選択枝は多様です。
4.原発事故を生かす
乳幼児を持つ家庭が放射能汚染を怖れて東京から転居する事例が増え、保育所の待機児童が減ったという報道もあります。関東圏からそれ以外へ転職する技術者が増えたという情報も入って来ました。
この度の東京電力福島第一原発事故は、分散に向けて前向きに役立てることも可能です。
東京電力は一民間企業という見方からすれば倒産させるべきことになります。しかし電力供給という公共事業を地域独占で行う企業であることからすれば、現在の法人を残して国と共に損害賠償責任を果たして行くしか方法はなさそうです。
株主責任は100%減資で。経営者は交代。事業と共に従業員は概ね引き継ぎますが、巨額の企業年金債務を引き継ぐべきではありません。社債は電気事業法の規定により保護されます。借入金は、金融機関に一定の比率で放棄させます。
さて損害賠償の財源です。私は一時的に国が建て替えたとしても、その全額を東京通勤圏の電力料金の長期にわたる値上げで賄うことにより東京一極集中の是正に利用できないかと考えています。
東京電力の年間売上金額5兆円から見れば、電力料金を1.5倍にもすれば充分でしょう。電力コスト高を吸収できない企業は移転するでしょうし、そうすれば従業員も引っ越します。
家計に占める電力料金の比率は高くありませんが、じわじわと分散化へ圧力が掛かるはずです。
これは、首都直下型大地震の被害を減らすだけでなく、無理な一極集中を進めた結果、原発を設置する場所が無くなり、管轄外の東北地方に立地を求めるところまで行ってしまった極端な歪(ひず)みを是正して、地域毎の本来のバランスを取り戻すことにも繋がります。ソーラーパネル設置も急速に進むはずです。
5.自己責任の原則
今回の災害では自己責任の原則を再認識する良い機会となりました。
震災発生後、日が浅い頃は、津波に呑まれた人々を報道するにあたって「津波警報から◯分後に津波が押し寄せました」という表現が目立ちました。
大津波が何十年かに一度やってくる地域の住民で、巨大な揺れを感じた後、津波警報が出なければ避難しない人が主流とは思えません。チリ沖で地震が起きたのではなく、誰もが巨大な揺れを感じたのです。
報道する人々が「津波警報」を避難の前提にするなら、天災の被害を避ける責任の所在を行政といった他人に求めていることになります。
報道する人々はともかく、住民にとっては命が懸かっていることです。天災においては住民各々の自己責任が原則です。
逃げ遅れた犠牲者を悼む気持ちが先走ったとしても、「地震発生から◯分後に津波が押し寄せました」が報道の基本姿勢であるべきです。時間が経つに連れ、津波警報を避難の起点にするような表現は影を潜めました。
6.行政にできること
宮古市や大船渡市など三陸地方沿岸の高台には、「ここより下に家を建てるな」と刻まれた石碑が残っています。これは1896(明治29)年に発生した三陸沖大地震の津波で大きな被害を出した地域で後世への教訓として建てられたものです。
住む場所は自己責任で選びます。教訓が後世に受け継がれるように、行政が協力することも重要です。今回の震災では東京都、千葉県、神奈川県で液状化現象が起きました。埋め立て地に特段の地盤対策を施さなければ当然起きることです。
江戸は、埋め立てによって拡大しました。深川などは元禄地震でも安政の大地震でも液状化の大きな被害を受けました。江戸時代の教訓は生かされませんでした。
電車が止まっただけで当日の帰宅困難者が大きな問題になりました。もし直下型の大地震が東京で起きたら一体どうなるのでしょう。
天災は避けることができませんが、その被害を最小限にとどめる努力はできます。その努力を怠れば人災の色合いが深まります。一日も早い東京一極集中の是正を望みます。
第16話終わり
写真上:栄山寺八角円堂(8世紀。奈良県五條市)
写真中:薬師寺東塔(8世紀。奈良市西ノ京町)
写真下:鉄骨耐震補強をした門(大正15年。中谷家)