第11話 極東ロシアの旅

投稿日:2010年12月03日

 今年2010年の夏の終わり、極東ロシア視察に行ってきました。

 中朝露、三カ国国境が接する場所にほど近い中国側から、ロシアのハサンという地区にバスで入りました。私が加わった旅行団は、主として港湾を見ることを目的としています。

1.港

中国より望む中朝露国境(右岸朝鮮、左岸ロシア)

 中国側は耕作農地ですが、ロシアに入ると放棄された農地が断続的に続きます。

 ポシェットという石炭積み出し港に着くと、ダブルリンク式引込クレーンの先端のショベルで一杯ずつすくっては運んで船倉に落とすという昔ながらのやり方で積み込んでいます。

ザルビノ港

 ザルビノ港は銹び付いたクレーンが立っているだけ。壊れたまま長年放置されていた冷蔵倉庫は、最近修理して使用可能になったと言いますが、ひと気がありません。毎週韓国との間にフェリーが一往復。年に何度かマツダ車を積んだ船が入るそうです。

自由市場(スラヴィヤンカ)

 スラヴィヤンカ港は漁港。寂れています。船舶修理工場もあまり稼働していないようです。

 ウラジオストクは軍港。港に隣接して鉄道駅があります。全長が9,288キロあるシベリア鉄道の終点です。港には日米中露、四カ国の巡視艇が停泊していました。合同演習があったそうです。

 ナホトカの東にあるヴォストーチヌイ港は日本の経済援助でできた港です。コンテナターミナルがありますが、稼働率は低そうです。

 コズィミノ原油積み出し港はできたて。小さなタンカーに原油をパイプで送り込んでいました。

 原油を除いて物資の流れは非常に低調。総じて経済活動も低調の感をぬぐえません。

2.街

ウラジオストク駅

 ウラジオストクは古い建物が多く、街全体が暗く沈み込んでいます。道路、歩道や橋の造りは雑です。ナホトカの新築ホテルは部屋の入口に段差があったり、階段に手すりがなかったり、コーキングシールがめくれていたり。

 ハンガーにズボンを掛けると横棒が抜け落ちました。ピンのように細い釘を下から上に打っています。使い物になりません。

 何もかもが20年前の中国のようです。違いといえば活気がないこと、住人が白人であること、ゴミがあまり落ちていないことでしょうか。

 走っているクルマの95%が日本製。そのほとんどが中古車です。中には日本の会社名が入ったままのトラックもあります。道路だけ見ていると、まるで日本に居るようです。昨2009年に関税が大幅に上がりましたので、徐々に日本車比率が下がっていくのでしょう。

 因みにタクシー料金は交渉で決めるそうで、よそ者は乗れません。

3.国民性

ウラジオストク港と建設中の橋

 スターリンといえばソ連時代の独裁者で、多くの犠牲者を生み出した悪の化身と我々は聞いていますが、ロシア人は肯定的な評価をしています。ロシア人は強い指導者を求める性(さが)があるのでしょう。現指導者のプーチンも日本では独裁者のように報道されていますが強く支持されています。

 意外なことに対日感情は良好です。ロシア人通訳さんは「(ロシア人の)片思い」と表現されました。日本のものは何でも人気があり、とりわけ日本の工業製品に対する信頼感は信仰のレベルにまで高まっているそうです。

4.生活

 同じキリスト教圏でもイギリス、フランス、ドイツなど宗教改革を経た新教国では勤勉が定着しましたが、ロシアは共産主義国になる前はギリシャ正教。勤労意欲が低いそうです。

 多くの家庭が郊外にダーチャと呼ばれる別荘を持っています。別荘とは言っても庶民のものは20平米ほどのしょぼい小屋。夏の週末に野菜作りをしたり、ウォッカでへべれけになって過ごします。

 女性が一生に生む子どもの数は一人。多くの国民が世界一の天然ガスと世界第二の原油が生み出す利益の還元を期待し、社会保障で気楽に生きるのが一番と考えているようです。

5.貧富の差

海水浴場(ウラジオストク郊外)

 夜になりますと、暴走族が走り回る音。若者の失業率が高く、スキンヘッドと呼ばれる過激な不良青年も多いそうです。ホテル公認で部屋に金髪の美女を呼ぶことも可能です。

 スラヴィヤンカ港にはヨットハーバーもありました。そういえばザルビノ港上空をモーターパラグライダーが飛んでいましたし、モーターボートで遊んでいる人もいました。貧富の差はかなりのものです。

6.名物

 ロシアに行ったからにはロシアのワインと考えましたが、旧ソ連時代のワイン産地、グルジアとモルドバとは断絶状態。入ってきません。レストランで出てくるのはフランスワインでした。

 土産は、マトリョーシカという、むいてもむいても出てくるラッキョウみたいな人形。そして帽子、アクセサリー、ブーツなどの軍用品。キャビアはというと、チョウザメが減少したので捕獲禁止。一般には手に入りません。結局買いたいものがありません。

7.担ぎ屋

 帰りのフライトに乗り込んできたロシア人達はほとんど手ぶら。担ぎ屋のようです。ロシアは軍需産業以外の工業は希薄ですので、生活物資は中国で仕入れて持ち込むと商売になります。

 たくさんの人が担ぎ屋で生計を立てています。ロシアは物価が日本並みなので、物価の安い中国で暮らす人も増えているそうです。

 日本は働いても働いても生活が大変ですが、やはり日本の活気と生活の質のありがたさを感じました。

終わり

写真1:中国より望む中朝露国境(右岸朝鮮、左岸ロシア)
写真2:ザルビノ港
写真3:自由市場(スラヴィヤンカ)
写真4:ウラジオストク駅
写真5:ウラジオストク港と建設中の橋
写真6:海水浴場(ウラジオストク郊外)