今年1月中旬から下旬にかけて中国中南部を50年ぶりの豪雪が襲いました。私も1月26日の朝、蘇州で降雪に見舞われました。
その数日前、安徽省で大雪が降ったニュースは聞いていましたが、「鹿児島県と同緯度のところに何度も雪が降るはずはないやろう」と完全に油断していたのでした。鹿児島から西に上海・蘇州・安徽省はほぼ同緯度にならんでいます。
1.この日
上海から夕方の便で帰国する予定です。ホテルの部屋は50階でしたので灰色の空に覆われた眼下の蘇州高新技術開発区がぼんやりと霞んで見える理由が雪であることを知ったのは玄関を出る時でした。
雪がちらつく中、上海行き高速バスに乗るべくバスターミナルへ。
乗り場には各地に出発するバスがずらりと並び、人が溢れています。今年の春節(太陰暦1月1日)は2月7日ですから、正月休みを田舎で過ごす帰省ラッシュが始まったところです。
手提げ鞄を両足の間に挟み、コートのボタンを全て留めて、二、三分置きに後ろに目をやり、この時期多発するスリへの対策は怠りません。
2.上海行き
待つこと30分。10時10分の定刻が近づいてもバスが入ってきません。係員に尋ねると、「今日は上海行きは無い」と言うのでチケットを示すと、待っていろと言います。
20分遅れで入ってきたバスには「上海」の文字。やっと乗り込んだものの直ぐには動きません。次から次へと旅客が乗り込んで来ます。次の40分発の客も詰め込んでいるのかと考えていると、係員が乗り込んできて運休を告げられバスを降りるはめに。
上海を結ぶ高速道路は朝から閉鎖されていたのです。それでもチケットは売るし、バスを車庫から出してくるし、連絡がなっていないということのようです。
3.途中まで
チケットの払い戻しカウンターには長い行列。時計を見ると10時40分。雪が積もる前に上海に到着するのが得策です。上海浦東国際空港は市内を横切って海の近くまで行かなければなりませんから、上海市内の交通が乱れている可能性を考えると一刻を争う事態です。
バスターミナルを飛び出すと雪は本降り。上海の予定をキャンセルしてもらうよう天津本社に電話をかけ、タクシーを探します。ターミナルにやって来た客が降りたタクシーにすかさず乗り込みました。
「上海まで行きますか?」
「行かない」
雪が勢いを増す中、このタクシーを逃せば次を拾える保証はありません。
「それなら昆山まで」
とっさの機転で行ってもらえることになりました。昆山は上海に向かって約40キロの距離です。
4.乗り換え
昆山の市街地に入ったあたりのロータリー交差点で降り、タバコを吸っているとタクシーがやってきました。
「上海まで行きますか?」
「250元」
日本円で約4千円。どれほど吹っかけているのか解りませんが、領収書印字メーターの車ですから全額の領収書がもらえません。見送りました。
待つこと10分。次のタクシーは現れません。
乾燥地帯の河北では雪が降っても僅かな量でおまけに風が吹けば飛ぶようなパウダースノーですが、この雪は西日本のように湿気を含んで重く、絶え間なく地面に落ちては溶けて路面は灰色に汚れたシャーベット状です。
コートの襟を立てて、片手はポケット、片手は傘。足を動かしますが、指先から痛いほどの冷たさがはい上がってきます。先のタクシーに乗らなかったことを悔やみました。
市内から出てくるタクシーが左折して行ってしまいました。反対車線の方がつかまえ易いかもしれません。滑らないよう足元に気をつけながらそろそろと道路を横切ります。
後ろを振り向くと空のタクシーが走り去りました。「しまった!」
反対側に戻ろうかと考えているその時、タクシーがやってきました。メーターで上海に行くと言っています。時計を見ると12時です。
5.上海まで
残るは50キロの道のりです。上海に近づくにつれ高速道路閉鎖の影響で下の道は渋滞しています。道路上は海上コンテナを積んだトラックだらけです。春節前に輸出する貨物を上海港に運ぶのでしょう。
やきもきしましたが雪は小降りになっています。幾ら渋滞しても確実に上海に着けるでしょう。残るは上海市内の道路が麻痺していないことを祈るばかりです。
国内線主体の上海虹橋空港ターミナルビルのそばにある上海国際機場賓館というホテルからは浦東空港行きのバスが出ています。バスの運行状況を尋ねられますし、タクシーを拾うのも容易です。
運転手にこのホテルに行ってもらうことにしました。午後2時前に到着。タクシーを降りるなりボーイに空港バスの情況を尋ねると、「正常に運行しています」。やれやれです。
ホテルで簡単に昼食を済ませ、空港バスで浦東へ。午後4時に空港到着。飛行機の出発は遅れたものの夜10時に関空到着、11時半に無事帰宅。朝から深夜まで移動の長い一日は終わりました。
6.帰国して
雪はその後4日続き、交通は麻痺。高速道路は容易に復旧しましたが、鉄道は復旧に1週間かかりました。石炭火力発電所が多い中国では石炭輸送を鉄道に頼っており、石炭が止まると電気も止まります。
鉄道の電化を推進してきましたので電気機関車が走れません。ディーゼル機関車を現役に戻して石炭を運んで発電を再開させ、電気機関車で石炭輸送を正常化させて初めて旅客輸送が正常化したのです。
この影響で広東省のターミナル、広州駅では毎日十数万人が、人によっては数日も足止めされ、駅前に宿泊もできず立ち往生しました。
中国は広大で毎年のようにどこかで「何十年ぶり」があります。「史上初」も多発します。
私も含めた日本人は高度経済成長以来のインフラが整備された安定した社会に慣れ、海洋性気候の穏やかさに恵まれ、想定外の事象が日常的に発生する「活気のある社会」を忘れがちです。
つづく
写真上:天津中谷酒造前の雪景色
写真中:昆山から上海へ
写真下:雪の上海国際機場賓館日本庭園