中国のカレンダーには農暦が併記されています。農暦とは、日本で言うところの旧暦に当たるものです。
紀元前2世紀の漢の時代にほぼ今の形になり、修正を加えながら東アジアで広く用いられてきました。日本でも江戸時代以降、独自の改良を加えました。
日本では明治6(1873)年に現在の太陽暦に変更され、以来あまり使われていませんが、中国では今も現役です。とりわけ新年開始のお正月行事「春節(しゅんせつ)」は、農暦の1月に行います。
農暦では月の運行に従って各月は新月から始まります。「春節」は、一年の始まりと春の訪れを月の復活と共に祝う行事として農暦1月1日の新月から十五夜の満月まで15日間盛大に行われます。
1.太陰暦の仕組みと修正
一年は12ヶ月ですが、この「月」は新月から月が満ちて満月になり、欠けていって新月に戻る周期を数える単位に他なりません。この周期は約29.5日です。
29日の小の月が6回、30日の大の月が6回、合計354日で一年です。
一方太陽の運行は365.2425日ですから約9日足りません。これを繰り返しますと季節と月がずれていきますので、約3年に一度、一年を13ヶ月にして調整します。
増えた月を閏月(うるうづき)と言います。昨2006年には7月の後に閏7月が入り、13ヶ月になりました。
2.太陰太陽暦
我々が今日使う暦は太陽暦です。太陽の運行を基準に一年の長さを割り出し、各月を決めています。太陽が高く日照時間が長くなると気温が上がり、短くなると気温が下がって行きます。
気温の変化を左右する太陽が基準ですので各月と季節感が一致します。
一方、月の運行が基準では季節感にずれが生じます。例えば2006年の春節の始まりは1月29日でしたが、閏月が入りましたので今年2007年は一気に20日ずれて2月18日です。
そこで考え出されたのが二十四節気です。節気は太陽の運行に基づいて決められますので太陽暦の各月と同様、季節感の基準になります。電灯のない時代に於いては、夜の活動に月明かりは欠かせません。
月の満ち欠けを暦の骨格にしながら、季節の移り変わりを正確に知ることができる節気を組み合わせた暦は優れたものと言えるでしょう。
3.太陽暦
現在の太陽暦は欧州で使われてきたグレオリオ暦です。それは、シーザーのエジプト遠征によって紀元前45年にローマ帝国に取り入れられたエジプトの太陽暦を基礎としています。ローマではユリウス暦と呼ばれました。
エジプトでは農業が文明の基礎でした。毎年ナイル川が氾濫し肥沃な土を運んで来ます。水が引いてから耕作を始めますので氾濫の時期を知ることが重要でした。洪水は太陽の運行に基づく一年の周期で繰り返されます。
それが太陽暦を完璧な形に進化させる原動力となりました。ローマに導入される時には、冬至を過ぎた最初の新月を1月1日としてスタートさせました。現在の太陽暦が冬至から始まらない伝統は、この時以来のものです。
4.農業と節気
冬至は太陽が一年で一番低く日照時間が一番短い日です。やがて日が伸びて春が近づくと昼と夜の長さが同じになります。春分です。春分を起点として太陽の運行を基に一年を24等分して名前を付けたものが二十四節気です。
雨水、穀雨、立夏、立秋、大寒など日本の天気予報でもお馴染みですね。
毎年2月19日頃(4年に一度の閏年や太陽運行の観察と計算の違いで一両日のずれが生じる)は、雨水。雪が雨に変わる時期です。
同じく4月20日頃は、穀雨。穀物の芽が出て成長を助ける雨が降る時期です。
5月6日頃は、立夏。夏の気配を感じます。7月23日頃は、大暑。大陸性気候の中国では日本より早く真夏が訪れます。
太陽が高度を下げると大陸では秋も早く始まります。8月7日頃が立秋です。
10月23日頃は、霜降。このように生活のみならず農作業の目安になる名称も付けられています。農暦と呼ばれる所以です。
5.春の訪れ
中国では春も早く訪れます。2月4日は二十四節気の立春です。日本では2月が一番寒く、春を感じるのは3月に入ってからです。近畿地方では「東大寺二月堂のお水取りが終わったら春」と言います。
毎年3月12日の大松明(おおたいまつ)は全国のニュースでも報道されますので、近畿のみならず日本の多くの方々が春の訪れの目安としています。
この行事、元はお堂の名前通り旧暦の2月に行われていました。旧暦の2月はだいたい太陽暦の3月にあたりますが、太陽暦の日付で行われるようになって季節の目安が確固たるものになったと言えるでしょう。
つづく
写真:東大寺二月堂