いつも泊まるホテルが混んできたので、ホテルを替えました。今度のホテルは租界時代に金融街が形成された解放北路にあります。
天津中谷酒造のある東麗(とうれい)経済開発区までは、東に行って最初の信号を左折、大光明橋(だいこうみょうきょう)を渡って北へ約1キロで右折するだけ。あとは津塘公路(しんとうこうろ:市内と港を結ぶ主要道路)をひたすら東へ行けば到着です。
二回曲がるだけですから非常に簡単なことのように思えたのですが・・・。
1.初日
タクシーは簡単に拾えるはずでした。ゆっくり朝飯を食べていると7時半。タクシーがなかなか拾えません。やっと止まってくれたタクシーの助手席には若い娘が乗っています。
「どこまで行くんや?・・・えっ、東麗区?・・・なに?、これは姪や。今日は頼まれて学校に送っていくんや。道中やから、乗れ」
大光明橋を渡らず直進しました。川沿いに走って次の橋を渡れば同じことのようですが、目の前には渋滞という現実問題が展開しています。途中で娘は降り、次の橋までひたすら渋滞です。
「あんた、この時間にこの道を走ったことがありますか」
「当然!」
ということは客の都合よりも自分の金儲けを優先したわけです。明日は早く出発して、親戚の娘が乗っていないタクシーを拾わなければなりません。
2.二日目
7時20分。幸運にも親戚の娘が乗っていないタクシーがやってきました。
「大光明橋を渡って下さい。津塘公路に着いたら右折。津塘公路を東に走って下さい」
走り始めました。大光明橋は渡りましたが、止める間もなく次の辻を右折。
このあたりの道路は碁盤目状ですから、どこで曲がっても同じと考えているのでしょう。ところが津塘公路に合流する手前は鉄道建設工事で狭くなっており大渋滞です。
「あんた、最近この時間にこの道を通ったことがありますか」
暫く間を置いて「当然!」。暫くの間(ま)が嘘であることを物語っています。
3.三日目
今日こそはと意気込んで、
「大光明橋を渡ったら津塘公路まで真っ直ぐ行って、津塘公路で右折。津塘公路をひたすら東に走って下さい」
走り始めました。
「ここを曲がるんか?」
「私の話を良く聞いて下さい。大光明橋を渡ると言いましたね。これが大光明橋です」
橋を渡り終えると、右に曲がろうと車線を変更して加速しました。
「こら!、何すんねん!。橋を渡ったら真っ直ぐ津塘公路まで行くと言ったでしょう」
「ここで曲がっても同じやん。前は混んでるやろ」
「私の話を聞きなさい。このまま真っ直ぐ行って、津塘公路に着いたら右折して下さい」
「・・・」
次の辻にさしかかりました。またもやここで右折しようとします。
「こら!ここで曲がるな!。私の言うことを聞きなさい!」
「同じやん」
4.四日目
「大光明橋を渡ったら津塘公路まで真っ直ぐ行って、津塘公路で右折。津塘公路を東に走って下さい。津塘公路に行く途中では、絶対に右折しないで下さい」
走り始めました。橋を渡って津塘公路で右折すると車が順調に流れています。成功です。
5.朝三暮四(ちょうさんぼし)
戦国時代の宋の国で猿を飼う人が「朝3つ、暮れに4つ餌をやる」と言ったところ、猿たちが怒り始めました。そこで、「朝は4つにしよう。その代わり暮れは3つだ」と言うと猿たちは喜んだという故事を中学校の漢文の授業で学びました。
目先にとらわれて同じであることに気付かない民衆を間抜けな「猿」に例えているのです。
それにしても一日にもらえる量は同じなのになぜ「猿」が喜んだのか、私には理解できませんでした。中国に来て、不安定な社会では少しでも早く現物を確保することが重要であることが解り、納得がいきました。実は、「猿」は間抜けどころか賢かったのです。
碁盤目状であってもどこを通るかによって結果は異なります。中国に生まれ育って「猿」の考え方が身に染みついているタクシー運転手に、この理屈が解らない理由がありましょうか。
それとも「少しでも早く現物を確保する」ことと同様に「少しでも早く東に向かう」ことが彼らの本能に作用するのでしょうか。
つづく
写真:中谷酒造の招き猫は、一日カップ一杯の餌で満足するお利口さんです。