VOL.109 民族の酒

投稿日:2005年7月08日

民族の酒

 日本で「民族の酒」といえば清酒です。中国でこれに当たるのが黄酒(こうしゅ)です。日本では、紹興酒(しょうこうしゅ)とか老酒(ラオチウ)と呼ばれているこの酒、皆さんも中華料理店で召し上がったことがおありでしょう。

 透明感のある赤みがかった褐色が長期熟成を物語ります。その深い味わいの中に、稲作文化と小麦文化の融合の歴史が垣間見えてきます。

1.長江文明

 黄河流域に最初の王朝・夏ができるのは四千年前のことです。ところが揚子江(長江)流域ではそれより古い時代から都市国家が生まれていました。この文明を支えたのは水田稲作です。米で麹をつくり、米の酒を醸したことでしょう。

 二千数百年前、この水田稲作が日本に伝わり弥生時代が始まります。それと共に日本に伝わった酒造りの技術は日本独自の発展を遂げ、室町時代に今の清酒造りの方法が確立されました。

2.麹

 アルコール発酵は、酵母菌がブドウ糖を食べて、アルコールに変えることです。ところが、米の主成分は澱粉(でんぷん)です。先ずは澱粉をブドウ糖に変えてやらなければなりません。

 澱粉を、酵母菌が食べやすいように小さく切ってできた小片がブドウ糖です。包丁に当たるのが糖化酵素です。

 糖化酵素はカビが作ってくれます。穀物に糖化酵素を生み出すカビが生えたものを麹(こうじ)と言います。

3.米麹

 古来、米は蒸して食べることが多かったようです。炊いた米に比べ水気が少なく硬めですが、麹カビの生育には最適です。又、米の栽培が行われるモンスーン地帯(初夏に梅雨がある地域)の夏は高温多湿です。

 食べ残した米を数日放置すると空気中に浮遊する胞子が落ち、直ぐに麹カビが生育しますので、簡単に麹を得ることができたのです。

 餅は蒸した米をついて作ります。皆さんも正月、鏡餅に黄色いカビが生えているのをご覧になったことがあるでしょう。これが清酒に役立つ黄麹カビです。

4.黄河文明

 夏王朝の次の商王朝(前18世紀頃?前11世紀)では飲酒が盛んでした。酒器も盛んに造られました。あまりに盛んだったようで、商を滅ぼした周は、飲酒を戒めたほどです。

 黄河文明を築いた人々は、馬に乗り、青銅器の武器を使うので戦が強く、周りの地域を征服していきます。周から春秋戦国時代にかけて長江流域の稲作地帯を黄河文明が取り込んで行きました。

 この頃、長江の下流域と河口付近に楚、呉、越などの国が生まれます。秦による統一、それを引き継ぐ漢帝国によって、黄河文明は稲作文化の全域を呑み込み、南はベトナムにまで及びます。

 黄河文明は中原(黄河中流域)から山東半島に到る内陸部で始まりましたので、粟や麦を原料とする酒を飲んでいたはずです。どのように造ったのか、どんな味がしたのか、記録には残っていませんが、麦偏をつけた「麹」という文字がそのヒントになります。

5.紹興酒

紹興酒と酒器

 黄酒の最大の産地である浙江省紹興市は、春秋戦国時代に越の都・会稽(かいけい)のあったところです。一説によれば、越国の盛んであった頃、今から二千四百年前から今のような黄酒が造られて来たと言います。

 紹興は、長江デルタの延長にありますから稲作地帯です。ところが、紹興酒の麹は麦で作られているのです。

 この麹、生の小麦粉を固めたものに、クモノスカビやケカビが生えたもので、清酒の麹とは全く異なります。収穫を終えた初夏、小麦を粉にひき、水を加えて団子を作り、それを秋まで放置してカビを生やすのです。まさしく「麹」です。

 稲作文化と異なる文明、即ち黄河文明の名残りが見えてくるではありませんか。

6.融合

 黄河文明を受け継ぐ越の支配者は麦の酒を好んだでしょうが、地元は米の産地です。何と言っても米の生産性は麦の二倍です。米を主原料としながらも、麦の麹を使うことで飲み慣れた酒の風味に近づけたのではないでしょうか。

 黄酒はアルコール度数も酸度も高く、腐りにくいので輸送に適しています。越は航海の民が建てた国ですから、酒を各地に販売して利益を上げることができたことでしょう。

 ひょっとすると越の経済を酒の販売が支えていたかもしれません。北方の燕や斉への販売では、帰りの船に麹原料の麦を積んで帰ることもできたはずです。

7.天下の銘酒

 時代は九百年ほど下がりますが、唐の時代、会稽で造られた酒は天下の名酒でした。酒を愛した李白もこの酒を飲んで詩を詠んだことでしょう。白酒(中国焼酎)など、世界中で蒸留酒作りが始まるのは13世紀以降のことです。

 新中国成立以後、食糧事情もあり雑穀で作ることができる白酒も宴席に出されるようになりましたが、中国の歴史を通じては、一貫して黄酒が飲まれてきました。「民族の酒」の所以です。

8.今に続く米麹

 日本料理店の店員と話していた時のことです。武漢出身の彼女の家では、米麹を作ってそれで甘酒を作るそうです。甘酒を数日放置しておくと酒になると話していました。武漢は長江流域の交通の要衝、稲作地帯の真ん中にあります。

 中国でも日本同様、米麹の伝統が生活に脈々と受け継がれていることを知りました。

つづく

写真1:紹興の隣の杭州には風光明媚な西湖があります
写真2:紹興酒と酒器