8.上海のラーメン
定番とも言えるのが雪菜肉糸麺です。透き通った薄い塩味のスープ、真っ直ぐな細麺、その上に豚肉の細切りと高菜の漬け物を一緒に炒めた物が載っています。広東を特徴づける豚骨スープではなく中国で一般的な鳥ガラスープ、更に拉麺ではなく細い切り麺です。
租界が置かれた港湾都市でしたからラーメンが伝わり、それが独特の形態に変化したものと思われます。英米日の共同租界では日本人が多数を占めていましたから「切り麺」は日本の蕎麦の手法が逆に伝わった可能性もあり得ます。
なぜか、似た環境にあった北の天津や青島にはラーメンの痕跡が残っていません。
そういえば二十年以上も前、これに似たラーメンを日本で食べました。東京都高尾の「もっこすラーメン」です。
「もっこす」とは肥後男児、熊本に縁があるのでしょう。縮れ細麺、透き通った塩スープ、上には高菜の炒め物と薄切りチャーシューが一枚載っているだけのシンプルなものでした。
租界時代、長崎と上海の間には定期航路があり、九州の人々にとって上海は旅券なしに行ける最も身近な外国だったそうです。九州、或いは日本には戦前の上海の影響があったことでしょう。
上海でのこの変化は、チャンポンに続く日本ラーメンの基礎になったと思われます。
今の熊本ラーメンは、真っ直ぐな太めの麺・豚骨スープ・揚げニンニクを三大特徴とするそうです。これには長崎チャンポンの影響を感じます。
尚、上海は中国一の大都会、今や日本ラーメンの店や台南担子麺の店なども増えています。又、街の食堂では牛肉麺を出すところも多く見られます。
9.本場広東
数ある中から潮州の紫菜四宝麺を紹介しましょう。「四宝」は魚・蝦・イカなど4種類のすり身団子、「紫菜」は海苔です。麺は細い乾麺、豚骨の透明なあっさりスープに細かい干し蝦が出しの足しに入っています。
この海苔と干し蝦の組み合わせ、北方の北京や天津の朝食の定番の一つワンタンスープにも入っています。ひょっとしてこれも潮州から伝わったのでしょうか。
10.台湾のラーメン
私が小さい頃、ラーメンと言えばチャーシューとなるとが一枚ずつ、それにメンマ(シナチク)が載っていました。なるとは魚の練り物ですから、潮州が起源と考えてよいでしょう。
ではメンマはどうでしょう。基本的には台湾産、広東産のものも出回っていますが大陸で使われているのを見たことがありません。
ラーメンの具材として使うのは台湾で始まったのでしょう。台湾には多種多様なラーメンがあります。台湾は、戦前日本が統治していました。日本のラーメンには台湾の影響が大きいように思われます。
11.牛肉麺
西域にもラーメンがあります。その代表とも言えるのが牛肉麺です。これは「拉麺」のラーメンです。広東や上海でも昔から回族(イスラム教徒)が経営する店で食べていたそうですが、最近は天津でも看板を見かけるようになりました。
切り麺や押し出し麺の中にあって両手を一杯に広げて伸ばすパフォーマンスが可能な拉麺は特殊な存在で、「拉麺」と言えば「牛肉麺」を思い浮かべる人も多いようです。上海出張の折り立ち寄った無錫で蘭州牛肉麺を食べてみました。
やはり回族が経営する専門店です。回族の象徴の白い帽子をかぶった少年が打った麺は、鹹水を使わない真っ白な手延べ。腰のない細めのうどんといった感じです。
薄切り牛肉が数片、ネギの代わりに香菜がたっぷり載り、山椒主体の舌が痺れるラー油がアクセントです。透き通った塩スープは牛のもの、イスラム教徒は豚は使いません。
12.飛び地?大連
大連港の入り口の食堂にラーメンがあるのを発見しました。鳥ガラ出し、薄い塩味、中太の真っ直ぐな麺に、骨付き鳥肉のぶつ切りを煮たものが載っていました。
大連は「日本の街」として発展した歴史がありますので、北方には珍しくラーメンが受け継がれたのでしょう。戦前大連にお住まいの方に尋ねますと、中国人が経営していた店のワンタン麺が一番美味しかったそうです。日本人は昔からラーメンが好きだったんですね。
13.トレンドはラーメン
大都市にはラーメン店が出来始めましたが、まだまだラーメンの無い地域でラーメンを出す店はほとんどありません。ところが、実は中国の人々は日常的にラーメンを食べているのです。即席ラーメンです。
台湾系のメーカーを中心に様々なものが販売されています。袋麺・カップ麺、二玉入りのビッグなカップもあれば、味付けも各種あり、その豊富さは日本のようです。全国どこでも手に入ります。中国の人々もラーメンが好きだったようです。
つづく