日本では明治時代に太陽暦を採用してから年中行事もその日付で行うようになり、季節が合わなくなってしまいました。例えば7月7日が梅雨に当たってしまい織姫と彦星は一年に一度どころか何年経っても会えません。昔は、梅雨は五月雨(さみだれ)、七夕は真夏の行事でした。
一方中国をはじめ東アジア、東南アジアのほとんどの地域では今も太陰暦が健在です。中国ではこれを農暦と呼び、カレンダーにも併記しています。中国では年中行事は農暦で行います。今回は、一般的な中国人(漢民族)の「お正月」を紹介しましょう。
1.「年」を過ごす
日本では「年越し」ですが、中国では「過年」と言います。暦ではたった一日なのに年を過ごすとはどういう事でしょう。中国の伝説によると「年」という魔物を一族皆が集まってやり過ごすのだそうです。「年」は赤と爆竹が嫌いです。それで赤いもので家を飾り、爆竹を鳴らします。元日は「大年」、十五日に「小年」が来ます。この間が春節です。
2.行事
一月の各日は初を付け、順に日数で表します。除夜から初一にかけて爆竹・ご馳走・湯円(とうえん。糯米の粉でできた甘い団子をゆで、煮汁に入れた物。北方では湯円の代わりに餃子を食べる。
餃子は清代の貨幣の形に似ていることから財宝の象徴。)の三点セットにお酒で一族徹夜で盛り上がり、初二から年始回りが始まります。先ずは奥さんの実家、初三は上司や恩師の家、初四は友人の家が原則です。年玉を渡す習慣もあります。
初五も湯円を食べる地域が多いのですが、北方ではその日に餃子を作って食べます。餃子の餡(あん)を作るには包丁で具を細かくたたきますが、それと「崩小人」(人の足を引っ張るような心の小さい人を叩く)を掛けたものだそうです。又、爆竹で小人を追っ払います。
最近は政府の規定で初八が仕事始めですが、遠くまで帰郷した人は15日頃まで休みます。
3.元宵節(げんしょうせつ)
太陰暦は月の運行を基に決めていますから、初一は新月、初十五は最初の十五夜満月です。小年を過ごす為、夜は家族が集まって湯円を食べます。
実は丸い湯円は月の象徴、初一は月の復活を願って食べ、この日は復活に感謝して食べるのでしょう。又この日は赤い灯籠を飾るので灯節とも言います。朝から晩まで一日中どこかで爆竹が鳴っています。
4.準備
春節は中国人にとって最も大切な年中行事、準備は12月8日に栗、ナツメなどが入った糯米の甘い粥を食べる頃から始まります。23日、北方では唐瓜と呼ばれる麦芽糖でできた粘っこい飴を食べます。
その由来が面白いので紹介しましょう。即ち、翌日は各家のかまどの神様が一年に一回、天に人間の行状を報告しに行く日です。爆竹を鳴らし餃子と飴をお供えして食べます。飴は歯に引っ付いて口を開けにくくなるので人間の悪口を言えないように飴で口封じするのだそうです。
同じ日にニエンカオ(漢字は「粘」「米偏に羊の下にれんが」)と呼ばれる糯米の粉でできた粘っこい菓子を作ります。「粘」と「年」、「カオ」と「高」の音が同じなので「年々高まる」という意味があるそうです。この日から春節にかけて食べます。
5.儲かりますように!
赤い紙に福の字を書いたものが扉などあちこちに貼られます。逆さまに貼ったのもあります。「倒」(さかさま)と「到」(来る)が同じ音なので福が来るという意味です。必ずしも逆さまに貼っていないことからみれば効果は同じと思われます。
又、「新年快楽・万事如意」に混じって「恭喜発財」(儲かりますように)があったり「財神到」(お金の神さんが来た)と書かれたド派手なものもあります。あの世の沙汰も金次第、初十四には紙で作ったお金を燃やして先祖に送金します。正月からお金というのも他の民族には見られない特色です。
6.爆竹
「パンパンパパパン」「パンパパパン」「パンパンパン」いつ果てるとも知れず続きます。やがて「パン」「パン」と少し遅れたのが破裂し、静けさが戻ります。すると又、別の場所で始めたのでしょう。「パパパパパン・・・」と始まります。打ち上げ花火も混じっているのでしょう、「ドーン」と腹に響く音もあります。
怪我人どころか大気汚染問題まで指摘され、北京や上海では禁止されてしまいました。何せ、あれだけ人口密度の高い街でほとんど全ての人が一斉に爆竹を鳴らすのです。想像もできない光景です。
「ええ加減にせえよ!寝てられへんやんけ!」幸か不幸か爆竹が許されている天津で春節を過ごされた企業戦士の皆様、お疲れさまでした。
つづく