日本では、小学校1年生から日記をつける宿題が出ます。ところが、中国では小学校高学年になるまで出ないのを御存知でしょうか。「出ない」というより、「出せない」というべきかもしれません。その秘密は文字にありました。
1.仮名の威力
日本の小学校低学年生の書く日記はほとんどが平仮名です。仮名は、小学校一年の最初の授業で学びます。90文字程度の仮名さえ覚えてしまえば日常話している言葉をそのまま文字にできます。
一方、中国では漢字しかありませんので、一定量の漢字を覚えないことには文章は書けません。「漢字しか無い」ということが文字の学習と普及の点で、日本語との大きな違いをもたらします。この点は、欧米系の言葉もスペルを覚えないと書けないので、似た情況とも言えます。
2.文字改革
そもそも漢字というものは、支配者或いは知識人階級の専用物でした。複雑で覚えにくいとしても特段の問題は生じません。或いは一部の学者が指摘するように特権階級の利権を守る為に複雑化されるという過程も辿ったのでしょう。
文盲率の高かった中国では、新中国成立後、漢字を簡略化する作業が行われました。新しい字体を簡体字と云います。従来は、日常の言葉であっても非常に複雑な漢字が混じっていたため、簡単な言葉さえ庶民は書けませんでした。
例えば「何ですか」という単語は、日本に伝わっている「何」という漢字を現代口語では使わず、別の2字の漢字で表します。
アルファベットで音を表すと「shen」と「me」、画数は前者が4画、後者が14画でした。それが、簡体字では後者が3画になった為、合計でも7画になりました。日本でも戦後、進駐軍の指令によって一部簡略化されましたが、それの比ではありません。徹底して行われました。
3.簡略化の方法
以下、3つの方法を概観してみましょう。
A.共通の音を利用する:
「種」も「鐘」も、音が「中」と共通ですので、何れも旁が「中」になります。
B.草書体を利用する:
草書は筆記時間の短縮に役立ちますから広く普及していました。それが、近代になって活字化が進むにつれて楷書が主流となり、かえって筆記に時間がかかるようになったのは皮肉です。楷書の中に活字化した草書を混在させるなど、さすが漢字の国の発想です。
よく使う「言(ごんべん)」は点と跳ねの2画になりました。「貝」、「長」、「書」は何れも4画となりました。「龍」という複雑な文字は、日本では「竜」と略しましたが、中国では草書体で5画です。
因みに、姓や地名など固有名詞だけに使われる「瀋」(音読みでシン)は「沈」になりましたが、これは日本語の「沈」とは異なります。マスコミの報道などで間違って「沈」の字を当て、「チンさん」なんてやっていることが多いのですが、失礼なことですから注意が必要です。因みに「沈」は、字体を少し変えて用いることが多いようです。
C.部首など漢字の一部もしくは大部分を取り去る:
部首を省く方法では、「電」や「雲」の上部の雨を省きました。「製」も衣を省いて単に「制」としました。物を作るのは衣に限らないのですから合理的です。
4.歴史的変化
漢字の簡略化に反対する人々がいます。特に中国で使われている簡体字です。
確かに、はねる・はねない、点の有る無しなど厳密な教育を受けてきた我々にとって、或いは漢字というものは完成したものであると信じてきた多くの人々にとって、それに手を加えるという発想は馴染みにくいものがあります。
二千年以上も続いた文字に急激な改造を加えたのですから、計画経済が二十余年間という短命に終わって市場経済に回帰しているように、何らかの揺り返しがあると考えることもできるでしょう。香港と台湾では今でも一切簡略化していない従来の漢字を使っています。
一方では、漢字の母国である中国が漢字の普及を図る為に行ったことですから、漢字の大変革として後戻りできない歴史的な出来事とも考えられます。
パソコンやIT革命の進展といった新たな要素も加わってきました。この先、漢字はどうなっていくのでしょう。我々は漢字の歴史的変革期に居合わせたのかもしれません。
つづく