VOL.52 家族旅行

投稿日:2000年10月09日

家族旅行

 わが家恒例の中国旅行は、毎年新たな感動と発見があります。それに伴って日本とは全く異なるホテルや交通事情、衛生問題などに直面するのも女房や子供にとってよい刺激です。強すぎることもあるようですが、今年も懲りずに行って参りました。

1.食堂の姉ちゃん

 親しい方に運転を御願いして、清の歴代皇帝や后が眠る東陵を訪ねました。天津から北北東に140キロ、果てしない河北の平原が北に尽きるところ、長城も目の前です。

 7時半に天津を出発、お昼前には30キロ程手前の分岐点に着きました。道を尋ねようとクルマを降りると色の浅黒い姉ちゃんが寄ってきました。

 「東陵に行く途中は通行止めで通れません。でも食堂のクルマがあるからそれに乗り換えて行けば大丈夫。その代わり、うちの食堂で食事してね。」

 よくもこんな手前から客引きをしているものです。感心しながらも取りあえずお断りしました。

2.またしても

 幹線道路を北に折れて、「神道」と呼ばれる参道に到着しました。道端の観光地図を見ていると、ここにも同様の姉ちゃんが出現です。

 「この先の道路は通れませんから私が案内します。その代わり、うちの食堂で食事をして下さい。

 胡散臭いながらも、姉ちゃんをクルマに乗せました。

3.神道を行く

 「この道は、三百年以上前に造られました。真ん中は、皇帝や棺の通るところ、両側は・・・・」

 道は少しずつ蛇行しながら、数キロ続きます。途中には幾つかの門や石碑、石柱、象・麒麟・馬・武人などの石像があります。何れも見事な物で、思わずカメラを手にします。陵墓のある一帯に到着して神道から左折したところ、そこに彼女の勤める食堂がありました。「国営」と大きく書かれています。

4.「国営」食堂

 社会主義市場経済導入以前は確かに「国営」でした。今では国が所有権を持っていたとしても、経営は請負人が損益の責任を負っている私企業に過ぎません。「国有」ではあっても「国営」であろうはずがありません。店には同じような姉ちゃんに引っ張り込まれたグループが溢れはじめました。

 グラスには洗い水が5ミリほど溜まっていますが、お構いなしにそこに茶を注いでくれます。肝炎感染の危険を冒す訳には行きませんから、折角注いでくれた茶は捨てて、自分で再度注ぎ直します。

 地元で採れる茸や野菜などの炒め物、それにチャーハンとスープ、火の通った物が安心です。結構美味しかったのですが、トイレから戻った子供はその強烈さにすっかり食欲が失せています。更に、
「通行止めなんか無かったし、騙されたんや。」子供は正直です。

5.乾隆帝の墓

 管理職員達は数人集まって、墓室の入口となる歴史的建造物の中でトランプ遊びに興じています。木造なのにタバコを吸っている者も居ます。我々は白けながら地下の空間に入って行きます。

 副葬品は今世紀初頭、軍閥に全て持ち去られて棺桶しか残っていませんが、さすが清朝最盛期の皇帝、驚くべき巨大さです。壁の彫刻も見事です。感動の余韻を残しながら我々は東陵を後にしました。

6.帰り道

 行きに通った工事中の橋が通れなくなっていました。別の道を探すことにしました。道を尋ねた場所が良かったのか悪かったのか、とんでもない道を走ることになりました。クルマ一台がやっと通れるようなぬかるみを上下に揺られながら這うような速度で走った後、舗装の傷んだ田舎道を更に数十キロ、やっとの事で太い道に出ることができました。

 ホッとしたのもつかの間、もう少しで天津という所で道路が完全に封鎖されていました。あたりには暗闇が迫っています。迂回路を探すとすれば幾ら時間がかかるか見当がつきません。絶望感が漂います。

 と、脇の土手を農業用のオート三輪が何とか通っていきます。斜度は30度以上あるでしょう。滑り落ちれば水路の中、一巻の終わりです。

 「やりましょう。」我々は4輪駆動車です。横滑りを起こしながらも通り抜けることができました。

 結局、女房と子供にとってこれが一番得難い経験となりました。因みに、皆さんが東陵に行かれる場合は、北京から高速道路で行かれることをお薦めします。

つづく