1.中国の義務教育
小学校だけが義務教育です。私立の小学校はほとんどありませんから、ほとんどの人は公立小学校に行くことになります。その公立小学校でさえ、教科書代どころか授業料まで有償です。いくら義務教育とはいえ、払えない人は学校に行けません。豊かな日本では想像もつかないことです。
それでも都市部のほとんどの子供は小学校に通います。両親は生活費を切り詰めてでも教育を受けさせます。社会主義市場経済の中で生きていくには、教育が最大の武器になることを知っているからです。或いは文化大革命時代に教育を受ける機会を奪われた親の世代の反動もあることでしょう。
2.義務教育と市場経済
公立小学校の中でも著しい格差があります。両親は、少しでも良い教師の居るところ、設備の充実したところに入れようとします。しかし、そんな小学校はサラリーマンの年収に相当する高額な入学金を要求したり、入学後も様々な名目で費用を徴収します。
良い教師を集めるには高い給料を保証しなければならず、設備を充実させるにもお金がかかります。小学校それぞれが自活を求められているのです。ですから、校舎の一部を店舗用に賃貸したり、改装して学校自ら商売をするのもごく自然なことです。
3.日本の教育問題
日本の義務教育は恵まれています。しかしその有難みを感じている人はどれほど居ることでしょう。又、高校まで実質上義務教育化しているにもかかわらず、学力水準は低下の一途、科目によっては恵まれないはずの中国にも抜かれています。
公共交通機関の中での飲食、地べた座り、学級崩壊、いじめ問題、青少年犯罪の増加など最近の状況を見ている限り、何かがおかしいことは誰でも感じていることでしょう。私も心当たりについて考えてみました。
4.当たり前?
日本の社会は、暗黙のルールが支配する同質社会であることは、以前にも述べたことがあります。「人の迷惑になることはしてはいけません。」だけでは通じない時代になったのかもしれません。
「人の物を壊してはいけません」、「盗んではいけません」、「人が不愉快になることはしてはいけません」、「人を傷つけてはいけません」、「人を殺してはいけません」等、当たり前と思えることを言葉にして伝えているでしょうか。もっともこんなことは家庭のしつけの範疇かもしれません。
5.教員の社会性
日本でも市場経済の加速化、経済のグローバル化の中で、社会構造の大変動が起きています。雇用の流動化も急速に進んでいます。各家庭は、これらの影響のまっただ中にあります。
大学を出るなり教員になり、生活水準を保証されて一生を学校勤めで終える人々が、市場経済の競争原理の中にある社会変化や社会感覚をどこまで理解できるでしょう。各家庭の状況、子供の置かれた環境についてはどうでしょう。
エピローグ
中国でのある朝、道端の粗末な店でワンタンスープをすすっていると、3才くらいの娘を連れた母親がやってきました。擦り切れて垢で汚れた服を着ています。娘の服も汚れていますが、少し新しそうです。他にも席が空いているのに、奥に入るのは気が引けるのか、入口に一番近い私の向かいに腰掛けました。
小龍包と呼ばれる小さな豚マンを一篭だけ注文しました。直径15センチ程の篭には10個乗っています。母親は小皿に唐辛子の粉を一杯に入れました。
自分では食べないで、娘が食べるのを見ています。その子は豚マンを一つ箸でつまむと、その中に落とします。唐辛子の粉で真っ赤になった小龍包を口に運びます。少しかじって、又粉をまぶして美味しそうに食べています。幼児がこんなに辛いものを食べて大丈夫でしょうか。
私の目が点になっていたのでしょう、母親がちょっと微笑んで、
「おかしい? この子、唐辛子が無いと食べないの。」
私も微笑み返しました。娘は、6つ食べるとおなかが一杯になったようです。母親は残った物を持ち帰り用の袋に入れました。自分は家に帰ってから粥でもすするのでしょう。
二人が帰ったあと、私はこの親子のことを考えました。母親は貧しくても、何としてでも娘を小学校に入れようとするでしょう。娘は入れなかったとしても、何れ母親の気持ちを理解することでしょう。
つづく