VOL.23 霧の中国

投稿日:1998年4月25日

霧の中国

1.天津空港

 上海出張を翌日に控えた12月のある日、「社長、霧で飛行機が飛ばないかもしれませんよ。」と、いやな事を言うやつがいます。石炭を燃やした煙の粒子が核となって、冬場は霧が多発するからです。

 果たして、翌朝、霧で視界は、100メートル、気温は氷点下10度です。上空の寒気と地表の温度差が霧を濃いものにしています。

 待合い室で待つこと2時間、全員がぞろぞろと空港出口に向かいます。天津を朝立つ便は、格納庫のある150km離れた北京から飛んで来るようです。来ない以上、乗客をバスで北京に運ぶ作戦です。

2.高速道路

 入口で待つこと、一時間、霧で玉突事故が多発し数十人が死傷、高速道路は閉鎖だそうです。霧の時はいつものことです。空港に引き返して更に待つこと30分、フライトはキャンセルされました。

3.北京空港へ

 上海のスケジュールはタイトですので、何とか今日中に着きたいところ、偶々居合わせた顔見知りの方と下の道を走って北京空港に行く事になりました。

 何とか夕方4時に到着しました。上海行きのチケットを売っています。助かりました。

4.一日の終わり

 待つこと6時間、夜の11時になりました。疲れ切っています。やっとホテルで待つように放送がありました。荷物は、空港に預けたまま、バスに乗せられました。

 信号の無い道を郊外に向かいます。隣に座った上海人が、「飛ぶ可能性のないチケットを売って、チェックインさせるなんて、トータルの管理ができてない。北京って本当に遅れてるよ。」私もそうだ、そうだとうなずきます。

 走ること20分、田舎のホテルに着きました。日本人は4人だけ、明日の見通しも知らされず、二人部屋をあてがわれて着替えもないまま寝ることになりました。

5.翌朝

 電話が鳴りました。食堂で朝食を取るようにと、言っています。朝6時半です。あたりは未だ真っ暗、食欲はありません。「どうなってるんや。」と尋ねても、解る人はいません。

 夜が明けました。霧に加えて雪まで降り始めました。絶望的です。

 10時になりました。情況を知る為に同室の日本人と一緒に空港へタクシーを飛ばしました。

6.再び北京空港

 空港は人混みでごった返しています。全く飛んでいません。都市間の距離が離れている中国では、こうなったら全く陸の孤島です。列車で脱出するか、霧が晴れるのを待つか。二人で相談して、一緒に夜行列車に乗る事にしました。もう待つのには疲れ果てました。

 人混みをかき分け、チケットの払い戻し、その前に荷物を取り戻さなければなりません。さんざんたらい回しにされたあげく、「あそこにあるんだろ。」ある空港職員が荷物のコンベヤーが階下に入っていくところを指さしました。

 「手伝って貰えませんか。」

 「俺は今仕事中だよ。」何の仕事をしているんでしょう。こっちは必死です。

 「どうしたら荷物を返してもらえるんですか。」

 「自分で取りに行けよ。」 「いいんですか。」

 という訳で、コンベアーの上を歩いて、薄暗い倉庫に入り込みました。積み上げた荷物の一番下にみつかりました。

7.北京駅

 夜行列車に乗りさえすれば、明日の朝は上海です。日本人の連れがいるのも心強く、少し希望が湧いてきました。チケットは、全て売り切れでしたが、連れの方が機転を利かしてダフ屋から手に入れてくれました。

高くても、手に入った喜びで一杯です。時間は、午後4時、遅い昼食に安ワインで乾杯です。

8.夢にまで見た上海

 朝、ホームに列車がすべり込みました。2日遅れであれ、何と言っても霧の北京を脱出できたのです。熱い物が胸にこみ上げてきました。二人の間には苦労を共にした友情のようなものが生まれ、別れを惜しみました。

 ホテルに着くと直ぐにシャワーを浴びて、二日間伸びた髭をそり、よれよれのスーツを着替えて、気分一新、さて営業活動です。明日は日本に帰れます。深夜まで活動し、ぐっすりと眠りにつきました。

9.上海空港

 朝、カーテンを開けました。「そんなアホな!」今度は上海が霧です。疲れを感じました。呆然と何時にホテルを出ようかと考えている時、ハッと気が付きました。私が乗る飛行機は、北京から来るのです。

 北京を離陸して、上海に着陸するという余計なステップを踏む分、飛ぶ可能性は下がります。大慌てで空港に向かいました。

10.苦しいときのJAL頼み

 「CA(中国国際航空)のチケット持ってるんですけど、この程度の霧の日に飛びますかね。可能性が薄ければJALにしようと思うんです。」カウンターの中国人女性に尋ねました。

 「CAに聞けばいいでしょう。すぐにわかりますよ。」灯台もと暗し、中国の事情がわかっていません。

 「ところで、ご予約は。」

 「してませんけど。」

 「今日は満席です。」
それやったら先に言わんかい。運に見放されています。直ぐにANAに行きました。結果は同じでした。

11.CAカウンター

 「フライトは、どういう情況ですか。北京はもう立ちましたか。」

 「わかりません。」予想通りです。やむなくチェックインしました。

 3時間待ちました。登場ゲートで弁当を配り始めました。今日の帰国はあきらめざるを得ません。荷物を担保に取られた北京空港の悪夢が脳裏を横切ります。

12.教訓

 その時です。着陸したジャンボ機が近づいて来ました。翼にはCAのマーク。もしかして・・・。

 おかげさまで、その日の内に帰国することができました。さすが中国を代表する航空会社です。やるときは、やるのです。

 しかし冬の中国旅行にタイトスケジュールは禁物です。

つづく