1.満州美人とは
美人の基準は時代と共に移り変わる様です。清朝は満州族の国でしたが、満州族の間では胸の小さな女性が好まれたそうです。足も、小さいうちから縛って大きくならない様にする纏足(てんそく)が上流家庭では一般的だった様です。これらは清朝二百数十年の歴史の中で漢民族にも広まりました。農村では今世紀に入ってからもその風習が残った様で、今でも、農村に行きますと子供の様に小さい足をしたお婆さんが、小股で歩いている姿を見かける事があります。
2.そびえ立つ美女
今日では、テレビの映像や映画、雑誌その他の印刷物により広まった、アメリカやヨーロッパの価値基準が主流を占めている様です。
先日、大連の街を回っていると、新しいカラオケスナックが開業準備をしていました。日本語でも看板が書いてありましたので、日本人客をターゲットにしたものでしょう。表に貼ってあった女性の募集広告には、「身長165センチ以上」とありました。こんな女性がハイヒールを履けば、最低でも170センチになってしまいます。おそらく経営者の頭には、今中国で流行のファッションショーに出てくるモデルのイメージがあったのでしょう。ファッションモデルは、最低でも身長180センチを要求されるそうです。
幾ら中国人が日本人より背が高いと言っても180センチを越す人は極めて少なく、170セン チでさえもあまり多いとは言えません。あまりその条件にこだわると、思う様に募集活動が進まない、そこで妥協の産物として「165センチ以上」となったものと思われます。
恐らくこの経営者は中国人で、日本の事情にあまり詳しくないのでしょう。私なら、「155セ ンチ以上、165センチ以下」と書くと思うのですが。
日本では、アイドルタレントも小柄な少女が好まれますが、中国に発掘に来られるプロダクションの方も同様のギャップを感じられるそうです。
3.大連の青い瞳
ところで、大連には美人が多いと言います。原因は、かつて王朝が美女を全国から集めたから、とかロシア人との混血のせい、とか言われます。私も日頃から気になっていたので、弊社が利用する大連の倉庫に勤める青い目の女性に、尋ねてみた事があります。本人は、「純粋な漢民族です。」と言っていました。中国では戸籍に民族を記入しますので、おそらく本人の言う通りなのでしょ う。偶々、瞳の色素が薄いのか、遥か以前に北方のアーリア系騎馬民族の血が入ったのでしょうか。
何れにせよ、大連は、私の見る限り中国の大都市の中で一番美人の比率が高いように思います(もっとも、これは私の主観ですので、客観性に疑問のある方は、ご自分の目でお確かめ下さい)。
思うに大連は半島の突端ですので、その先に行き場がありません。古来から漢民族や朝鮮族、それに北方のステップロードを通ってきた蒙古族、蒙古と混血したその他の民族、近くは満州族、ロシア人、日本人の血が混じり合い、混血美人を作ったのではないでしょうか。
4.北方人の妬み
一方、大連と対比されるのが、上海です。初めて出張に行く前から部下が「上海には美人がいない」と何度も教えてくれます。私は、これは北方人の経済発展著しい上海に対する妬みかな、くらいに考えていたのです。
事実、上海は革命前から中国で最も経済の進んだ地域で、今も江沢民政権幹部の多くが上海出身者で占められている事もあり、重点開発地域として経済上最も活発な地域の一つなのです。これに引き換え、北京は政治都市ということもあり経済上の格差は歴然たるものがあります。そして庶民の消費水準にもそれが反映されているのです。北京の隣の天津とて同じ事です。ですから上海人は 北の人々を見下す傾向が強く、北の人々はあまり上海人を好いていません。
5.上海と大阪
さて上海に着いて街を歩いてみました。私の主観では、やはり美人は見あたりませんでした。部下の言葉は真実だったのか・・・・。
不思議に思いタクシーの運転手に尋ねてみました。彼は上海人でありながらそれを認め、原因いわく、「全部輸出した」。
なるほど、大阪の夜のネオン街で働く女性の中で上海人の比率が高いとは聞いた事があります。 しかし、「大阪と上海は友好都市であるから・・・・」などと妙に納得している場合ではありません。
6.無意味な議論
後日、私は、上海のホテルや外資系企業のオフィス、百貨店で働く美しい女性を発見しました。 そうすると不思議な事に街を行く女性の服装もあか抜けて見え、美しく見え始めたのです。
私は、短い出張期間に限られた場所を見るに過ぎません。結論を下すのには、当分時間を要する様です(今、どこからか「結論を出した所で、何の意義があるんや。」と言う抗議の声が、聞こえてきました)。
つづく