<酒蔵の様子>
醸造関係の設備や布の片づけを全て終えました。連休明けの出荷に備えて製品の準備を行っています。
清酒関連のイベントは全て新型コロナウイルスの影響で中止。春の盛り上がりに欠けますが、やむをえません。今は我慢のしどころです。
4月21日は春祭り。弘法大師の命日(旧暦3月21日)に因んで、一年に一度の番条町が四国八十八ヶ所霊場になる日です。各家が八十八ヶ所に対応する弘法大師の厨子を門前に飾り、番条を一週すれば巡礼の満願成就です。
中谷家は三十三番札所善楽寺(高知県一ノ宮)。御詠歌は、「人多く立ち集まれる一ノ宮 昔も今も栄えぬるかな」。
今年は新型コロナウイルスの影響で接待は自粛。お参り下さった方を家に上げたりお茶を出したりしないどころか、自由に持って帰ってもらう餅のお供えもしませんでした。又、この時期に行われる豊臣秀長公奉賛法事も中止されました。
<模型で作る情景>
未完成で発見されたものを三つの情景に仕上げた最後の作品。大日本帝国陸軍を代表する戦車・97式中戦車です。
「シンガポール攻略 1942年1月ジョホール」。昭和16年(1941)、帝国海軍による真珠湾攻撃によって始まった大東亜戦争(太平洋戦争)。日本軍はすかさず英国マレー植民地最大の軍事拠点であるシンガポール要塞を攻略します。日本陸軍はマレー半島を南下し、翌17年正月にマレー半島南端、シンガポール島対岸に迫りました。ジョホールとシンガポールを結ぶ新柔長堤(「新」はシンガポール漢字表記の頭文字、「柔」は同じくジョホールの頭文字。英語表記は”Johor-Singapore Causeway”)のジョホール側、壁に書かれた新柔長堤の標識を97式中戦車が横切るシーンです。
既に新柔長堤は英軍の爆撃で通れなくなっており、この後日本軍は海から上陸してシンガポールを陥落させます。
田宮模型製97式中戦車は全く手つかずの状態で発見されました。それを丁寧に組み立て塗装を施しました。
日本軍独特の迷彩塗装は結構手間が掛かりました。黄色の曲がった線は敵に方向感を失わせる効果があるそうです。
戦車兵の肌色は、日本人が日焼けした感じになるよう工夫して塗り、顔だちも日本人らしく見えるよう眉と目を書きました。キャタピラのたるみは、糸で縫い留めました。
戦車兵の鉄兜(ヘルメット)は、顎紐を紙で作り二か所に取り付けました。
新柔長堤と書かれた塀はプラ板を切って作り、その上にパソコンで打ち出した文字入りの紙を貼り、汚し塗装を加えました。毎日のスコールと強い太陽でできる灰色の汚れが目立つように仕上げました。
地面はタミヤの石畳シートを貼り、塀際に苔と草をテクスチャー塗料で加えました。
放棄された英軍ヘルメットを配置しました。
背景は、ジョホールの古い町並みの写真をネットで見つけて印刷しカレンダーの青空と組み合わせました。
当時の世界水準に劣らない日本が誇る中戦車の雄姿、自信に満ちた戦車兵の表情が印象に残る作品に仕上がりました。
写真1:中谷家の弘法大師厨子
写真2:接待自粛の張り紙
写真3:シンガポール攻略(斜め前から撮影)
写真4:シンガポール攻略(後ろから撮影)
写真5:シンガポール攻略(全景)