<酒蔵の様子>
蒸した米を冷ましたり発酵温度管理が容易で、雑菌の繁殖も抑えられる寒い時期が清酒造りには適します。伝統的な清酒造りは冬の仕事。寒い時期に酒を造ることを寒造り(かんづくり)と言い、できた酒は寒造りの酒と言います。
1月から2月にかけて気温が最も低い時期に大吟醸など精密な管理が要求される高級酒を中心に仕込み作業を行います。1月25日は純米大吟醸の添仕込(そえしこみ)。これを皮切りに、集中して大吟醸酒の仕込作業が続きます。緊張の日々です。
1月18日は大和郡山市が主催する異業種交流会「元気城下町クラブ」の新年会。弊社の「萬穣」の樽で鏡開きが行われました。私も参加し、市長はじめ多くの方々とお会いすることができました。
26日は若草山の山焼き。春を告げる行事です。弊社のある番条町からも若草山の火が浮かび上がるように見えます。
2月2日はとんど。正月飾りを燃やしました。新年の行事は全て終了です。
3日は節分。節分は明治時代に新暦が導入されるまで、庶民の大晦日でした。年越し鰯を食べ、豆を播いて邪気を払い、一歳年を取る新年の到来に合わせて年齢プラス一粒の豆を食べます。4日は立春、昔は庶民の正月です。待ち遠しい春はそこまで来ています。
<亥年>
2月5日が旧暦の元日。亥年が始まります。テレビでは、ちょっと中国事情を知った記者が、「今年の干支(えと)はイノシシですが、中国ではブタです。」と言い、ブタ飾りやブタの絵を流して中国の異質さを笑い飛ばそうとする狙いが垣間見えます。この記者は、十二支が中国から伝わったことや、「亥」を表す中国から伝わった「猪」という文字がブタを意味することを知らないようです。中国文明の影響を受けた東アジアの地域、即ちモンゴル、朝鮮半島やインドシナ半島でも亥年はブタです。異質なのは日本の方です。
ブタはイノシシを家畜化したものです。アジアにおいて家畜化は中国で行われました。中国数千年の歴史の中で人が居住する範囲からほぼイノシシは姿を消しました。そんなことで「猪」はブタを表す漢字として作られました。
日本におけるブタの飼育は弥生時代にも行われていたようですが、5世紀に日本に移住してきた秦氏(紀元前3世紀末、秦王朝の中国から朝鮮半島南東部に逃れ定住した中国人集団)によって盛んになり、ブタの飼育は「猪飼」(いかい)と記述されました。「猪を飼う」のですからそれはブタのこと。大陸からブタの流入と共にそれをさす言葉として「猪」の文字も日本に伝わったのです。今の大阪市東部は猪飼野(いかいの)と呼ばれましたし、他にも「猪飼」という地名や姓が残ります。
その後の日本では仏教の流行や血の穢(けが)れを厭(いと)うことから肉食を避けるようになりました。江戸時代には基本的に猪飼を行わなくなり、ブタは薩摩や琉球など限られた地域を除いて消えました。一方、肉食を避けた結果、イノシシは繁殖し身近な存在になりました。そこでイノシシに「猪」の文字が充てられ、「猪」がイノシシと解されるように変化したのです。
明治以降、欧米の影響で肉食が広まりブタの飼育が盛んになりますと、ブタに充てる漢字に困りました。中国古典を調べますと、「猪」の肉には「豚」という字が充てられています。例えば礼記の「豚肩不掩豆」(とんけんまめをおおわず。質素倹約から先祖への供え物のブタの肩肉が小さくて豆の器に満たなかったという故事)。「豚」という漢字は、偏(へん)が肉月(にくづき)で、肉であることを示します。旁(つくり)は、ブタを表す古い象形文字です。即ち、「豚」とはブタ肉を意味する漢字です。養豚の目的は、ブタ肉を得ることにあるのですから、その動物の名前が肉の名前であろうと日本人の感覚からすれば大きな問題ではありません。そこでブタという動物名として「豚」を使うようになったのです。ただ、この不自然さは皆さんが知る簡単な英語で理解できます。ブタは「PIG」、ブタ肉は「PORK」。ブタをポークと呼ぶようなものだからです。
さて、冒頭の記者の発言に戻りますと、「今年はイノシシ年ですが、十二支本家の中国ではブタ。日本も昔はブタだったのですが、江戸時代にブタが身近でなくなったのでイノシシに変わりました。」ならばしっくりきます。
写真1:元気城下町クラブ鏡開き
写真2:とんど
写真3:試験吸水(大吟醸の原料米)