<酒蔵の様子>
今シーズン最初に仕込んだタンクの醪は、11月13日に搾りました。早速、本醸造の搾りたて生原酒、濁り酒として瓶詰めを行い、翌週から出荷が始まりました。
その他の生酒の発売も集中しますので出荷準備に追われます。包装の集中作業日を決め、営業の板東も筆者も総動員です。年末まで、酒造りと出荷作業に多忙な日々を過ごします。
ちょうど新しい杉玉も届き20日に付け替えました。すがすがしい緑の杉の葉は新酒の誕生を祝ってくれているようです。
11月30日は醸造祈願。賣太神社(めたじんじゃ)から藤本宮司を迎えました。
毎年この時期に仕込む正月用しぼりたて生原酒に合わせて醸造の安全並びに旨い酒が醸せるよう祈っていただきます。午後3時より仕込蔵の作業台に従業員全員参列し、厳かに祈祷が行われました。
<今月の話題> 火入れの起源
先月、久しぶりに中国国際航空に乗りました。全日空と変わらぬ食事、最新の映画、機内誌も充実と随分進化しています。その機内誌ですが、丁度酒の特集でした。酒の火入れ(低温殺菌のこと)といえば江戸時代かそこらに日本で発明されたと思っていましたが、その起源は中国にあることを知りました。
蒸留酒は揮発したアルコールと水だけが成分ですので腐敗しませんが、清酒や黄酒(紹興酒等、米と麦麹で造られた酒の総称)など醸造酒は保存や輸送中に乳酸菌が湧いて腐敗します。それを防ぐために火入れと呼ばれる60℃の低温殺菌をを行います(現代のワインは防腐剤を使う)。酒にはアルコールが含まれ、100℃にせずとも殺菌ができるのです。
清酒の火入れは16世紀には行われており、酒を釜で加熱し、貯蔵容器である桶、輸送容器である樽に入れて密封しました。英語の「PASTEURIZATION」(低温殺菌)の語源になった生化学者パスツールが発見する19世紀よりだいぶ前のことで、清酒技術の優越性の宣伝に使われてきました。
一方、その機内誌では唐朝(618-907年)の李肇(りちょう)という人が書いた「唐国史補」には、酒名として「焼春」が挙げられており、その当時、酒名に多く使われた「焼」と「春」は、「滅活殺菌技術」のこととしています。又、雍陶(ようとう)の絶句には、「自到成都焼酒熟 不思身更入長安」(成都に来てより焼酒が熟成して旨く、都長安にまで行こうとは思わず)とあり、この時代の焼酒とは今日の黄酒であり白酒(蒸留酒)ではないとも。
NET上で調べてみますと、同じく唐代に書かれた「投荒雑録」には焼酒の作り方として、「南方飲既焼 即実酒満甕 泥其上 以火焼方熟 不然不中飲」(南方では焼酒を飲む。酒を満たした甕(かめ)の上に泥を載せ、上で火をたいてから熟させる。さもなくば旨くない。)と書かれています。泥で容器を密封して加熱する方法は明らかに低温殺菌です。
「焼酒」を焼酎の一種と考える向きもあろうかと思いますが、アラビアで発達した蒸留技術が酒に応用されるのは南宋(12世紀)というのが定説で、世界の他の地域での蒸留酒の誕生時期からみてもそれはあり得ません。
唐代の「焼酒」は火入れによって加熱殺菌され、時間が経っても品質が悪化しない(酸っぱくならない)黄酒を意味したのです。そして長期保存、即ち熟成が可能になったのです。同時に遠方への輸送も可能になりました。
低温殺菌の技術は唐代の中国で発明されて8世紀に普及し、日本には早ければ平城京に伝わった可能性もあります。平城京には造酒司(みきのつかさ)という酒造り専門の役所が置かれました。火入れ技術が普及する前は、酒は造ってから短期間に飲む必要がありますし、遠距離輸送はできませんので大規模な清酒醸造場は存在しません。清酒発祥の地と言われる正暦寺(しょうりゃくじ)は、15世紀から酒の出荷量が増えて行きます。この時期に輸送容器として樽が普及します。釜で酒を加熱殺菌してから樽に入れたはずです。
世界三大発明は全て中国でなされましたが、低温殺菌まで中国とは驚きです。
写真1:新しい杉玉
写真2:藤本宮司による祈祷
写真3:中国国際航空機内誌記事