大吟醸の酒造りと「天」の概念 vol.121

投稿日:2015年1月16日

<酒蔵の様子>

11月25日醸造祈願

 明けましておめでとうございます。

 11月25日、賣太神社(めたじんじゃ)の藤本宮司のご祈祷を受けたもろみは年末に搾り、元日に皆様にお届けすることができました。

 正月休みを挟んで、5日から酒造りの再開です。

 精米歩合35%の大吟醸、純米大吟醸の一連の酒造りが始まりました。1月10日は最初の麹を出しました。今年も全国新酒鑑評会金賞を目指します。

精米歩合35%の米(左)とその麹(右)

洗米袋の洗浄

<今月の話題>井沢元彦著「逆説の日本史・江戸成熟編」から

 中国の儒教の考えに「天」(てん)という概念があります。帝王が良い政治をすれば天はそれを祝福します。悪い政治をすれば天命が革(あらた)まり、王朝が替わります(これを「革命」と言います)。

 この考え方は、日本にも伝わり、「至誠は天に通ず」(良い行いは天に認められる)、「正直者の頭に神宿る」(まじめに働いていれば良い報いがある)という言葉になります。

 こういった考え方は、一神教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など唯一の絶対神しか認めない考え方)ではあり得ないことだそうです。

 なぜなら、例えば悪人が栄えているとしましょう。神にその悪人に天罰が下るように祈ったところで必ずしも天罰は下りません。そうしますと神が善人の願いを聞き入れてくれないことになります。「神が自分の思い通りに動かないことへの不満」が起こります。

 こうしますと人が主で神が従。こんなことを一神教では許せるはずはないからです。一神教では、悪が栄えることも、善人が報われないことも、全て「神の思し召し」(神の意志)になるのです。

 仏教はインドの因果応報説(前世の行いによって後世が変わる)を基本としています。仏教は中国経由で日本に伝わりましたので、「天」の概念が入り込み、「功徳を積めば極楽往生できる」(善行を重ねれば死後の安楽が得られる)という考えが広まりました。中国の「天」は偉大です。

 今日も一日「至誠は天に通ず」、「正直者の頭に神宿る」を信じて、こつこつ働き、夜はゆっくり食事と晩酌。こんな日々が一番の幸せかな、と思うこの頃です。

写真1:11月25日醸造祈願
写真2:精米歩合35%の米(左)とその麹(右)
写真3:洗米袋の洗浄