<蔵の様子>
10月30日、季節外れの台風一過。大和路の秋は一気に深まりました。街路樹の色づきも鮮やかです。
酒造りが始まって一ヶ月余り。最初のタンクの発酵も終盤、圧搾の準備に余念がありません。
圧搾機という装置を使います。布をかぶせた板を何枚も枠の中に固定し、板と板の間にもろみを注入します。布目を通って酒が下のアルミ製のタンクに流れ落ちます。
間もなく今シーズン最初の酒が出来上がります。
<「シクラメン」の思い出>
家内がシクラメンを買ってきました。赤と白の二鉢。
そう言えば、布施明が歌った「シクラメンのかほり」という暗く悲しい歌がありました。発売は35年も前の1975年です。
「かほり」が何を意味するのか、議論がありました。
一つは「香り」とする説です。現代仮名遣いでは「かおり」、旧仮名遣いでは「かをり」のはずです。作詞作曲をした小椋桂がそんな簡単な事を間違えるはずがないということで、もう一つの説、小椋桂の妻の名「佳穂里」説が有力になりました。
ただ、昔の仮名遣いには「かほり」もあることがわかってきました。そんなことで、「香り」説が勝ちかと思ったら、実はシクラメンには香りがなかったのです。ここ十年ほどの間に品種改良され香りのあるものが主流になったのですが、当時の花には香りがなかったのです。
そんなことで「佳穂里」説が有力と思われます。ただ残念なことに、漢字から伝わってくるのは秋晴れの下、瑞々(みずみず)しく稔った稲が穂を垂れる黄金色の水田。悲しい歌には似合いません。
歌が発売された頃、シクラメンはあまりメジャーな花ではありませんでした。花に詳しくない限り、「メン」から麺類の一種と考えた人も少なくなかったはずです。
歌のもの悲しさから「シ暗麺?」、放送では「カオリ」と発音していましたので「どんな臭いや?」といった感じです。やがて花の名前であることが知れ渡り、シクラメンの知名度が一気に上がりました。
四年後、私は下宿で一人夏を越していました。戸山町のスーパー三徳で「冷や麦」という乾麺を買って帰り、ゆでて食べました。関西は素麺文化ですから、「ひやむぎ」は全く未知の食べ物でした。「冷や麦」が腰のない白い麺、言ってみれば太い素麺であることをその時初めて知りました。
エアコンどころか扇風機もない、窓が一つあるだけの四畳一間で、あまり冷たくもない麺に醤油と鰹節をかけて、ズルズルとすすります。食感、喉越し共に素麺に比べるべくもありません。わびしさがこみ上げ、思わず歌が口をついて出ました。
「真綿色した シクラメンほど 淋しい ものはない・・・」
この号終わり
写真1:圧搾機組み付け作業
写真2:圧搾機とタレ口桶
写真3:二鉢のシクラメン