<酒蔵の様子>
新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
年末はぎりぎりまで出荷に追われました。
三が日をお休みして4日から酒造りも再開です。先ずは本醸造の麹作り、もと(酵母菌の培養液。酒母とも呼ぶ)立て、そして7日から仕込み作業です。出品用の大吟醸二本目が続きます。
今年は冷え込みが厳しく、洗米ポンプが凍ることが多くなりました。毎朝先ず湯を沸かし、その湯で解凍する作業から始まります。
<今月のテーマ>
大和の寺社巡り、先月に続き奈良を代表する有名神社・春日大社の第二回目です。
では中編、お楽しみ下さい。
春日大社(かすがたいしゃ)<中編>
三条通りを東に向かうと興福寺を左手に、猿沢池を右手に見ながら緩やかな坂を登ります。目の前に柱の太い大鳥居、そこから奥に広がる三笠山の麓が春日大社の境内です。奈良公園の鹿は、春日大社の神鹿です。
春日大社は、平城京の守護神を祀ったのが起源です。やがて藤原氏の氏神を祀る神社として完成します。今回は、平城京遷都と守護神の創造を追ってみましょう。
4.平城京遷都
702(大宝2)年、遣唐使が最新の中国の文物を満載して藤原京に戻ってきました。その前の遣唐使から既に32年経っています。彼らは唐の都長安に行ったのではありません。その時、中国は武則天の時代です。
武則天は唐の高宗の皇后でしたが、690年に皇帝に即位し国号を周に改名、神都(洛陽)を都にしていたのです。周は一代限りで終わるのですが、遣唐使はもとより日本側では未来のことを知る由もありません。
丁度、何かの理由で遷都が検討されていました。中国でも王朝が代わったことが遷都決定に影響を与えたはずです。盆地の北に新都を建設することが決まりました。
5.武甕槌(たけみかづち)
新しい都には新しい守護神が必要です。既に不比等は「創造」した歴史を形あるものにするため、主な王や神を祭る神殿の建設を終えています。そこで考え出したのが、武甕槌です。
武甕槌は、日本書紀の中で経津主(ふつぬし)に従って高天原(たかまがはら)から降臨し、葦原中国(あしはらなかつくに、即ち日本)を平定したと書かれた神です。
ようするに「神武東征と崇神天皇」に重ね合わせて、歴史を古く見せる為に神話を創造したのです。日本書紀の完成は720年ですが、古事記の完成は712年です。あわてて加えたので混乱したのでしょう、経津主は古事記には漏れています。
709年(和銅2)、武甕槌を三笠山の麓に祀りました。これが春日大社の起源です。武甕槌は常陸国鹿島から勧請したことにしましたので、鹿島神宮をこの時に造営したことでしょう。或いは同時に経津主を祀る香取神宮を下総国に造営したかもしれません。
次号に続く
写真上 中谷酒造正門の正月飾りと杉玉
写真中 藤原京一条通と中つ道の交差点
写真下 復元された平城京朱雀門