<酒蔵の様子>
土用粕は、全量売り切れました。有り難うございました。蔵では、粕のタンクの洗浄を終え、いよいよ酒造りの準備が始まっています。蔵人は、酒造りで忙しい冬に休めない分、夏はゆっくり休みを取り、気力も充実しています。
先ずは、清掃作業、そして酒を搾る板に袋をかぶせる作業からスタートです。蔵の中は、原酒を低温で熟成させるためにエアコンが利いていますが、じわりと汗をかきます。酒造りの始まる来月に向けて、徐々に気持ちが高まって行きます。
さて、酒造好適米「山田錦」の稲の成長報告です。
8月31日、稲穂が出始めました。9月4日にはほぼ出そろいました。今年は、雨にも気温にも恵まれ、順調な生育です。これから稔りまで、気の抜けない毎日です。
<今月のテーマ>
大神神社(おおみわじんじゃ)
奈良盆地の東、山裾から突き出すようなゆるやかな円錐形の山があります。三輪山(みわやま)です。緑に覆われた山の西麓に神社はあります。通称「三輪神社」、地元では「みわのおおがみさん」と呼んで親しまれています。
京都の松尾大社と共に「酒造りの神様」として全国に名を知られています。由来をたどってみると、両社に共通の意外な事実にたどり着きました。
<後編>
5.秦氏と神社
今日、三輪神社の若宮には初代神官の大田田根子(おおたたねこ)を祀っています。元は、神仏習合が始まった奈良時代末期に創建された神宮寺でした。明治初年の廃仏毀釈により、本尊の十一面観音は聖林寺に移され、始祖を祀る神社に変容したものです。
大田田根子は、和泉国大鳳郡からやって来たと書かれています。そこは秦(はた)氏の居住地です。秦氏は5世紀に朝鮮半島南部から移住してきた人々です。
日本創世神話のイザナギ・イザナミ神を祀った多賀大社は、秦氏の居住地秦荘(はたしょう)町のすぐ近くです。5世紀に大和に入った応神(おうじん)に始まる王族とその信仰を祀る宇佐八幡の三神官の一人は、大田田根子の子孫です。神社の創建には秦氏が関わっていた可能性が濃厚です。
6.酒造りの神
秦氏は、機織りや金属加工の高度な技術を持っていました。加えて酒造りの技術も持っていました。境内にある活日(いくひ)神社には大田田根子の下で神酒(みき)を造った高橋活日を祀っています。日本唯一の杜氏(とうじ。酒造り職人の長)の神です。
一方、京都嵐山の松尾大社も酒造りの神として有名です。文武天皇の代、701年と言いますから三輪と同じ頃に秦忌寸都理(はたいみきとり)が造営しています。やはり、秦氏の関係が浮かんできます。
7.秦氏の正体
秦氏は、平安時代初期に編纂された「新撰姓氏録」を根拠に、始皇帝の「秦」の末裔とする説が一般的ですが、滅亡後6百年は長すぎます。歴史を調べてみますと、ちょうど秦氏の渡来が始まる直前に滅んだ「秦」がみつかりました。五胡十六国時代の前秦(同時代、後にも秦ができるので、区別するために「前」の字を付ける)です。
前秦は371年に華北を統一し、高句麗と新羅を朝貢国にしていました。更に中国統一を目指し383年に南朝の東晋と戦いますが破れ、間もなく滅びます。
応神天皇は、5世紀初頭に九州北部から東征して大和に入り新王朝を開きます。応神天皇は、国造りに役立てようと秦氏の移住を積極的に受け入れたのではないでしょうか。
日本古来の神ではなく、水田稲作伝来から千年も経ってから、最新の酒造りの技術を畿内に伝えた中国系の人々を神として祀ったのが「酒造りの神」だったのです。
三輪神社、終わり
写真上 山田錦の稲(9月3日撮影)
写真中 活日神社
写真下 若宮