3月12日、東大寺二月堂のお水取りの行事が終わり、大和路に春がやってきました。桜の名所・郡山城址、郡山から奈良に続く佐保川の堤、そして奈良公園も桜が満開です。
今月からは、酒蔵の様子に加え、酒の利き比べや酒に関する話題などを<造り酒屋、だから語れる酒の裏話>と題してお送りします。今回は、知られざる酒の神・伊勢をお贈りします。
<造り酒屋、だから語れる酒の裏話>
伊勢神宮が実は酒の神様だった!?
『知られざる酒の神 豊受大御神(とようけおおみかみ)』
伊勢神宮は皇室で最も重要な祭祀の場、庶民にとっても太陽神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神聖な場所として圧倒的な知名度を誇ります。
江戸時代に伊勢参りは日本全国に流行し、熊野詣(くまのもうで)と旅程を連ねることにより、庶民の信仰と娯楽としての旅が融合して、社会文化も交えた生活の一部として日本人の心の中に定着した存在となりました。
この伊勢神宮が酒造りに深くかかわっています。普通、「伊勢」と言えば太陽神を祀る南の内宮(ないぐう)を指しますが、その北に五穀豊穣を司る豊受(とようけ)神を祀る外宮(げぐう)があります。外宮こそ酒造りの神として、知る人ぞ知る存在なのです。
丹後国風土記には、次のように書かれています。天女が水浴びをしているときに衣を隠され、天に戻れなくなりました。老夫婦の世話になりますが、お礼に酒を造って商売を始めます。これが大当たり。
ところが金儲けに目がくらんだ老夫婦に追い出され、やがて亡くなります。死後、丹後の奈具に豊受神として祀られました。この話は、五穀豊穣の神の一面を示すものと言えます。
五世紀、雄略天皇は豊受神を奈具から伊勢に移します。雄略は、中国の史書に見える倭の五王(讃・珍・済・興・武)の武にあたるとされています。
倭の五王は何れも南朝の宋に使者を送っていますので、中国の影響が感じられます。即ち、北京に今も残る最も聖なる場所・天壇の南側には太陽の祭壇があり、北側に五穀豊穣を祈る建物があります。
太陽神の北に五穀豊穣の神を祀る習慣はかなり古い時代から行われていた可能性があるのです。
更に、当時中国で盛んだった風水学の影響も感じられます。外宮境内にある豊受大御神荒御魂(とようけおおみかみあらみたま)を祀る別宮・多賀宮(たかのみや)。
本殿より高い位置にあり、「荒御魂(あらみたま)」即ち、豊受の本性を祀っていますので、雄略が祀った当時の本殿の様子を伝えているものと思われます。この手前には池、そして風と土を祀る宮(社)があります。
<酒蔵の様子>
3月11日に最後の仕込作業を終え、このタンクの酒を搾れば今シーズンの酒造りはほぼ終了です。残るは、搾られた原酒を低温加熱殺菌しタンクに密封貯蔵する作業。
この作業は「火入れ」と呼ばれ、酒の風味を殺さぬように60度という比較的低い温度で行いますが、これにより発酵を司る酵母菌のみならず雑菌を死滅させ、糖化酵素の活性を止め、安定した状態で酒を熟成させることができます。
こうして夏を越させた酒が、秋から瓶詰め出荷されていくのです。
さて、酒造りの季節が終わりますと、来シーズンの為の米作りが始まります。中谷酒造では、自社管理田と委託農家の田で米作りも行っています。
次回からは、種籾(たねもみ)を播いて苗(なえ)を作るところから、田植え、水管理、そして秋の収穫まで、米の生育を追ってみたいと思います。秋に米を収穫してからは、精米、そして酒造りまで、一連の流れを読者の皆様に紹介致しましょう。ご期待ください。
写真:別宮・多賀宮(たかのみや)