「物部」は天皇の形容詞だった!<古代史の謎は血縁関係で解ける>はじめに
【アラカン社長の徒然草vol.95】

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読者の皆様へ:
 筆者が書き貯めた古代史に関する文章を書籍に見立て、2017年8月より毎月一回、一章の割合で2018年11月まで連載します。
 本メルマガで既に発表した文章を元にこの連載に合わせて再構成し、内容を修正、補充したものです。
 本連載のバックナンバーはVOL.94までとは別にファイルします。
*記紀に記された日本の固有名詞について。
表音に使った漢字が両書で異なることがありますので、読者の便宜のため基本的にカタカナで表記します。
*天皇名
奈良時代後期から使用される漢字表記のおくり名を使います。
*西暦年
西暦年表示を標準としています。括弧内に半角数字のみ書いたものは西暦年を示します。人名の後に二つの数字をハイフンで結んだものは生年と没年を示します。
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はじめに

 日本の古代史研究の基礎となる資料は、日本最初の正式な歴史書である日本書紀(にほんしょき。720年に完成)、及びそれに先だって編纂された古事記(こじき。712年完成)です。これらが書かれた目的は、一義的には隣国の中国にならって国家の体裁を整える一環としての国史整備にありました。中国はその当時既に二千七百年の歴史を持ち、唐(とう)という世界帝国でした。日本は、中国から律令制(りつりょうせい)という政治体制を導入し、中国にならって平城京の建設を行っていました。
 日本が弥生時代から文明時代に入るのは3世紀のことですが、古事記、日本書紀(以下、記紀)では中国に対抗して日本も長い歴史と文化を持つ偉大な国であるとしました。即ち、日本国の誕生を約九百年溯らせ、太陽神アマテラスの子孫である初代神武(じんむ)が紀元前7世紀に即位してから天皇家が一貫して国を治めてきたことにしました。そのため初代から15代応神(おうじん)天皇までは在位年を間延びさせることになり、その結果として内容が乏しかったり、王朝の興亡があったにもかかわらず天皇の血筋を万世一系とするなど、記紀は実際の歴史を意図的に改ざんしています。
 改ざん前の真実の歴史に近づくにはどうすれば良いでしょう。やはり記紀に頼らざるを得ないのです。幸運なことに記紀は共に同じ歴史を記述方式を変えて書いてくれています。両者を比較することができるのです。仔細に見ますと、矛盾した記述があることに気付きます。それが手掛かりです。記紀に矛盾がある場合、先に編纂された古事記の記述を日本書紀で訂正していると考えるのが素直です。両者に矛盾がなくても内容に矛盾がある場合もあります。それも大きな手掛かりです。
 或る時私は古事記を読んで、「物部」を天皇の形容に使っている場面を発見しました。「物部」(もののべ)といえば豪族の名称ですから私は我が目を疑いました。物部氏が天皇家ということはあり得るのでしょうか。私はそう仮定した場合に矛盾が生じないか、記紀に当たりましたが何の不都合もなく収まります。物部氏は天皇家のことだったのです。その過程で、従来豪族とされていた葛城(かつらぎ)氏の正体も解明できました。蘇我(そが)氏の実態も判明しました。その成果をまとめたものが本書です。
 ここで読者の皆さんは一つの疑問を感じられたはずです。今まで古事記を読んだ人は何万人、何百万人もいるはずなのになぜ「物部」を天皇の形容に使っていることに気付かなかったのか、という点です。その理由は原文で読まなかったからです。古事記の原書は漢文、即ち中国語で書かれているのですが、江戸時代の著名な国学者・本居宣長(もとおりのりなが。1730-1801)という人が日本語に訳した文章を研究者は読んできたのです。

 私が気付くに至った経緯を具体的に述べましょう。
「邪馬台国はどこにあったのか?」、「天皇家のルーツは?」など、多くの日本人は日本古代史に興味をお持ちのことでしょう。私もそんな一人でした。
 私がとりわけ興味を深めるきっかけとなった本があります。それは新潮文庫の「古代史の窓」です。著者の森浩一先生(1928-2013)はNHK教育放送の高校講座日本史を担当されていたこともあり、私にとっては馴染み深い方でした。「古代史の窓」は平成7年(1995)に新潮社から刊行され、同10年に文庫本化されたもので、森先生の長年の研究成果に基づく深い知識と洞察に充ちた素晴らしい入門書です。それ以降、日本古代史に関する書物を多く読むようになり、古寺、神社、遺跡巡りの回数が増えました。
 一方で私は中国の歴史にも興味があったところ、知人から陳舜臣著「中国の歴史」を勧められました。陳舜臣氏は神話時代から現代までの膨大な中国史を一人でまとめるというとんでもない偉業を成し遂げられました。文庫本でも7巻にわたる大作ですが、それを繰り返し通読していました。
 2011年のことです。弊社顧問の先生が送って下さる季刊「明日香風」の121号を開いて私はハッと気付いたことがありました。古事記研究の第一人者・本居宣長著の「訂正古訓古事記」の一部が掲載されており、古事記原文では「物部」を天皇の形容詞として使っていたのです。

 古事記は日本の正史(国の正式な歴史書)である日本書紀とセットで編纂されたもので両者の内容はかなり重複しています。日本書紀は古事記から8年遅れの720年に完成しましたが、いずれも漢文で書かれています。
 当時中国は日本から見れば先進国であり、唯一の大国。中央集権国家を目指す日本の手本でした。日本書紀が編まれた理由はその流れの中で、日本を先進国・中国と並ぶ立派な国としてその体裁を整えることにあり、中国を意識して漢文で、中国の記述方式に則って記述されました。
 その中国には避諱(ひき)という規則があります。諱(き)とは本名のことで、皇帝といった上位の人の文字を避ける、即ち使わないということです。例えば前漢の高祖劉邦(前256-前195)の諱「邦」を避けて、「中邦」を「中国」に、「相邦」(現代の総理大臣にあたる地位)を「相国」に変えました。「邦」(ほう。現代中国語ではbang)と「国」(こく。現代中国語ではguo)の発音は異なりますが意味は同じです。避諱がなければ今日の「中国」は「中邦」だったかもしれないということです。記紀にはこの避諱の規則も導入されているはずです。
 上記、季刊「明日香風」121号に掲載されていたのは、オケ(後の仁賢天皇)とヲケ(後の顕宗天皇)兄弟が播磨国で発見される部分です。ヲケが詠む歌の中で兄弟の祖父である履中天皇(17代りちゅう。在位421-438)の形容詞に「物部」を使っており、本居宣長は、そこに「もののふ」とルビを振っています。
 ご存じの通り「物部」は「もののべ」と読み、それは豪族の名前です。避諱そのものではありませんが、避諱の考え方からすれば豪族の名前と同じ漢字を天皇の形容に使うことはあり得ません。
 避諱を前提とすれば天皇の形容詞である「物部」を「もののふ」と読み分けるべきではなく、豪族名と同じく「もののべ」であり、それは「物部氏の一族の天皇」ということを意味します。「物部」を天皇の形容詞に使う以上、履中天皇は物部氏だったのです。古事記の編者は、引用したのが歌詞、それもおそらく実在の歌詞であったばかりに「物部」を消し忘れたものと推定できるのです。

 本居宣長は平田篤胤(ひらたあつたね。1776-1843)に繋がる「天皇一神教」の創始者です(井沢元彦著「逆説の日本史17江戸成熟編」第二章国学の成立と展開編)。本居宣長は「天皇は神であり物部氏など他の民とは次元の異なる至高の存在である」とする自己の主張を通すために、敢えて避諱を無視して「物部」を読み分けることで自己の主張に矛盾する記述を封じ込めました。その後の研究者は本居宣長のルビを振った読み下し文を研究の基礎に置いたばかりに古事記が残した手掛かりを見逃していたのです。
 「物部天皇」があるなら対等な立場で争った蘇我氏はどうでしょうか。記紀では越前(えちぜん。今の福井県)からやってきた継体天皇(26代けいたい。在位526-531)が亡くなって6年目に蘇我氏が具体的な活躍を始めています。即ち蘇我稲目が大臣になり欽明天皇に二人の娘を嫁がせます。継体天皇の血筋を蘇我氏と考えても矛盾がないばかりか、そう考えない限り蘇我氏の「突然の出現」を説明できないのです。
 物部氏であった天皇家には蘇我氏の血が入りました。645年の蘇我本家滅亡後、両氏混血の血筋が「天皇家」として確立し、やがて編纂される記紀では天皇の血筋を初代神武天皇に始まる万世一系と偽装するために、本来天皇家であった物部と蘇我両氏は天皇家とは別の豪族とされたと推定できるのです。

 このように記紀の内容は全てが事実ではなく、編纂を命じた藤原不比等(ふじわらふひと。659-720)と、それに先だって記紀の基になる歴史書を編纂させた天武天皇(40代てんむ。在位673-686)の意図により手が加えられています。記紀に矛盾がある部分を手掛かりにして理由を考えます。最新の考古学の成果、中国の史書、上記「避諱」といった歴史常識など信頼できるフィルターを通すことで操作される前の事実が浮かび上がってきます。私は突飛な思いつきや想像を廃し、あくまでも記紀の記述から得られる事実、或いは推定可能な事実に基づいて歴史の再構築を目指しました。
 私はプロの学者ではありませんが、今までの知識の蓄積があります。中国史の知識があります。漢文、それに現代中国語が読めます。これは記紀の原文検証に役立ちます。不足する知識はネット上の検索機能を使って補い、また先人の研究成果を利用しています。こうして新しい切り口で日本古代史をまとめたものが本書です。
 応神天皇に始まる「物部天皇」の血筋と葛城氏の正体、蘇我と物部の混血比率を巡る争いから生まれる天皇家の概念に加え、法隆寺再建の謎、天武天皇の正体、伊勢神宮が二度創建されたこと、日本神話と神器の段階的な成立過程、山の神と太陽神の分離など、読者の皆様には古代史の実態が霧が晴れるように明確な形で浮かび上がる様をお楽しみいただけるものと期待しています。

2017年7月26日 中谷正人